
2016年2月、衆議院議員の宮崎謙介氏が不倫騒動で議員辞職しました。
その相手女性として一躍注目を浴びたのが宮沢磨由さん。
「グラビアタレント」「巨○タレント」と書かれることが多かったですが、実際にはキャリアを積んだダンサーで、藤原紀香さんを和風に近づけたような美人さんです。
このブログ記事では、宮沢磨由さんの現在、生い立ちと学歴、ダンサーや写真モデルとしての仕事、そして宮崎元議員との騒動についてまとめます!
宮沢磨由(みやざわ・まゆ) プロフィール

- 生年月日:1981年(昭和56年)12月30日 ※2023年で42歳
- 出身地:東京都
- 本名:同じ
- 身長:168cm
- サイズ:B 88cm W 63cm H 89cm
- 血液型:O型
- 学歴:目黒区立の公立小学校→桐朋女子中学校・高等学校→桐朋芸術短期大学演劇専攻
- 職業:ダンサー・写真モデル・バレエ講師・ジャズダンス講師・ヨガ講師・恋愛アドバイザー

宮沢磨由さんはもともと、ダンサー・写真モデルとして活動していました。
そして、宮崎謙介元議員との不倫騒動後は、恋愛アドバイザーとしての活動を開始し、その後男の子を出産されたそうです。
★宮崎謙介元議員の離婚理由については…↓↓↓
宮沢磨由はなぜ恋愛アドバイザーになったのか
宮沢磨由さんは2016年2月、34歳のときに宮崎元議員との不倫が報道され、苦境に立たされます。
ネット上の誹謗中傷。
そしてマスコミにおびえる日々。
マスコミ取材は過熱し、記者が認知症のお祖母さんを喋らせて、それをお母さんの発言として放送するということがあったり・・・
カフェで席を外した隙に、記者が手帳や本を勝手に覗いたり・・・
妹さんを磨由さん本人と勘違いして追いかけまわしたり・・・
宅急便を受け取ろうとドアを開けた隙に、中に入ろうとしたテレビ局もあったそうです。
絶望的な気持ちで毎日を過ごす中、磨由さんは書店で1冊の本と出会います。

心屋仁之助(こころや・ぢんのすけ)さんは「性格リフォーム心理カウンセラー」。

テレビ番組で芸能人のカウンセリングを行って話題になった、自己啓発業界の有名人です。
NLP心理学を参考にした独自の心屋流心理学で、セミナーを多数開催し、ブログは月間1,000万アクセス、著書は累計450万部を超えているそうです。
磨由さんは、2016年5月に東京・浅草で行われた心屋仁之助さんの講演会に、妹さんと一緒に行き、大きな影響を受けた様子。
また同時期に、自己啓発業界・スピリチュアル業界の有名人である子宮委員長はる(別名:八木さや・吉野紗弥佳・さやりんご)さんにも、妹さんとともに傾倒されたようです。

(この方は名前を何度も変えられているので、ここでは「はる」さんに統一します)
はるさんはお金と自己実現どちらも手に入れる方法として「自分ビジネス」を提唱されています。


宮沢磨由さんは、はるさんの影響を受け、「今までの経験を生かして、女性がもっともっと幸せになれるお手伝いをしていきたい」と恋愛アドバイザーになりました。
恋愛アドバイザーとしての磨由さんのセミナーの様子がフライデーに掲載されています。

また、クラシックのソプラノ歌手である妹の宮澤那名子(みやざわ・ななこ)さんも、自分ビジネスをスタートし、お母さんが毒親だった経験からオンラインサロンを主催されています。

妹さんもおきれいな方ですね!
宮沢磨由は2019年に男の子を出産
そんな宮沢磨由さん、ご本人のブログによりますと、2019年6月に男の子を出産されたとのこと!
現在は育児に奮闘されていることでしょう。

↑こちらの写真は出産後の写真です。
2020年9月に、伊豆の水森亜土さんのギャラリーを訪問されたときのもの。
出産後にこのスタイルを維持しているのは、スゴイ!!の一言です。
お相手の男性について、確定した情報はわかりませんが、2018年1月のブログに「2016年2月に騒動があり、4月の終わりに彼と出会った」と書かれています。
騒動後に出会い、愛を育んできた彼氏さんと、人生を歩まれているのでしょうか。
それではここで、宮沢磨由さんの生い立ちと通った学校についてまとめてみたいと思います。
実家は渋谷から徒歩圏内の庭付き戸建て!母は元スクールメイツ
1981年に東京都で生まれた宮沢磨由さん。
お父さんはサラリーマン、お母さんは元スクールメイツだったそうです。
スクールメイツ知っていますか?

1960年代から1980年代にかけて、音楽番組やフジテレビ「ドリフの大爆笑」でバックダンサーとして活躍していたグループです。
宮沢磨由さんの実家は渋谷から徒歩圏内で、父方のお祖父さん・お祖母さんと一緒の二世帯住宅。
庭付き&お祖父さんのゴルフ練習場付きの広いおうちだそうです!
祖母の代から桐朋女子出身の芸術一家
宮沢磨由さんは、地元・東京目黒区の公立小学校を卒業。
その後、私立の桐朋女子中学校・桐朋女子高等学校へ進学します。

桐朋学園は、芸術分野で有名な学校です。
宮沢家は、お祖母さん・お母さん・磨由さん・妹の那名子(ななこ)さんが桐朋女子出身。
磨由さんも那名子さんも、小学校1年生から高校まで「NHK東京児童合唱団」に所属し、教育番組や国内外のコンサート等に出演していました。
幼少期からバレエ・歌・ピアノを習っていた磨由さんは、小学生のときに宝塚歌劇を見たのをきっかけに、ステージに立つことを夢見始めたそうです。
大学は桐朋芸術短期大学演劇専攻へ。恋愛にも積極的!
中高の6年間は、生徒会に所属する優等生だった宮沢磨由さん。
宝塚音楽学校には進まず、桐朋芸術短期大学の演劇専攻に進学しました。
授業の課題に追われ、学校では練習・稽古三昧の毎日。
空き時間も、バレエと歌の個人レッスンでに通い、多忙だったそうです。
短大卒業後は2年間の専攻科に進み、合計4年間演劇の勉強をされました。
当時の学長は、「世界のニナガワ」として有名な演出家の蜷川幸雄さん。
専攻科のときは、蜷川さんの授業を週1回受けており、試演会(上演実習)で演出もつけてもらったのだそうです。スゴイ!!
そして・・・大学時代は恋愛にも積極的だったとか。
磨由さんは自身のブログで「好きになったら我慢出来ないんです」「まー色んな人を好きになりました」と振り返っています。
また妹の那名子さんも、 「事実姉は本当にモテる」とおっしゃっています。
大学卒業後、宮沢磨由さんは全国各地で行われるライブ・イベントのバックダンサー、ミュージカル・オペラのダンサーを務めていました。
水森亜土のバックダンサー「ローズマリーダンサーズ」として

宮沢磨由さんは、水森亜土さんのジャズライブでバックダンサーをされていました。

水森亜土さんのこと、皆さんご存じでしょうか。

1960~1970年代という日本のテレビの黎明期に、NHKの教育番組で、透明アクリル板にお絵描きをするというパフォーマンスで大人気に。
- ひみつのアッコちゃんエンディングテーマ「すきすきソング」(1969年)
- パンダコパンダ主題歌「ミミちゃんとパンダ・コパンダ」(1972年)
- NHKみんなのうた「山口さんちのツトム君」「ハメハメハ大王」(1976年)
- Dr.スランプ アラレちゃん主題歌「ワイワイワールド」「アレアレアラレちゃん」(1981年)
は、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
亜土ちゃんのイラストは、何十年もの間大人気。

近年はLINEスタンプも発売されています。
磨由さんは、そんな超メジャーな水森亜土さんのライブのダンサー。

スタイルいいですね~
K-POPカバーダンスチーム「modeA」で活動

宮沢磨由さんは2011年4月に、K-POPカバーダンスチーム「modeA」で活動を始めます。
modeAは平均身長170cmの女性5人組。
コリアンタウンである新大久保を始め、東京都内、名古屋、大阪など全国各地でパフォーマンスを行っていました。
2011年9月には「K-POP LIVE in Shinjuku」に出場し、最優秀チーム賞を受賞しました。

このように磨由さんは、ダンサーとしてステージで活躍するほか、幼い頃から培った技能を生かして
- クラシックバレエ 講師
- ジャズダンス インストラクター
- ヨガ インストラクター
としてもお仕事をされていたそうです。
「ミス湘南」でグランプリ受賞

身長168cmでスタイル抜群の宮沢磨由さんは、ミスコンでも複数回入賞されています。
2007年には「ミス湘南」でグランプリ受賞。
2008年には「ミスダイバー」で準グランプリ受賞。
ミス湘南では、その後10年間に渡り審査員を務められました。
全東京写真連盟のモデルとして

宮澤磨由さんは、2010年に全東京写真連盟モデルコンテストでフォトジェニック賞(準グランプリ相当)を受賞。
その後9年間、 全東京写真連盟の登録モデルとして、撮影会などのポートレートモデルとして活動されました(洋服・着物・水着)。


和風美人の磨由さん、着物がとても似合っていますね。
2015年に開催された全日本きもの装いコンテスト関東大会・カジュアルの部では、見事優勝されています。
ダンサーやモデルとして活躍していた宮沢磨由さんですが、きものコンテストで優勝された2015年にはスクールに通って着物の着付資格を取得されました。
2016年1月、磨由さん34歳のとき、国会議員の着付の仕事を引き受けたことから、大きな波にさらわれることになります。
宮崎謙介と宮沢磨由の出会いはキモノの着付
宮崎謙介元議員と宮沢磨由さんの出会いは、2016年1月4日。
第190回通常国会が召集され、和装振興議員連盟の国会議員が国会議事堂前で記念撮影を行いました。
この日、着付のアシスタントとしてやってきたのが宮沢磨由さん。
宮崎元議員が、撮影後に議員会館を案内するなどして、2人は打ち解けたそうです。
磨由さんからフェイスブックの友達申請をして、丁寧なお礼のメッセージを送りました。
そこから連絡を取り合うようになり、LINE交換もしたのだそう。
磨由さんは、
国会議員という全然知らない世界の人達と至近距離で会い、偉そうではなく気さくに接してくれ、どんどん喋ってくれたというところから、親近感が湧き、それがきっかけで不倫がはじまりました。
と振り返ります。
この日宮崎元議員は、1ヶ月後に出産を控えた妻の金子恵美元議員とも写真を撮っています。

★宮崎謙介元議員の現妻・金子恵美については…↓↓↓
また下の写真では、和装振興議員連盟の国会議員同士として、元妻の加藤鮎子議員とも一緒に写ってますね(汗)

★宮崎謙介の元妻・加藤鮎子の再婚については…↓↓↓
1日にLINE400通!「私のど真ん中はソナタ」
宮崎謙介元議員から宮沢磨由さんへ、多いときで1日400通ものLINEが送られてきたとか。
その内容は、ワイドショーでも話題になりましたね^^;
- 会いたくてソワソワしているが、今日は我慢しとく。私のど真ん中はソナタ
- 気を付けろよ、彼女さん。
- 会いたくてたまらない病!磨由ちゃんに裏切られたらどうしよう。死ぬ!
- 今夜は誰のもの?…今夜は
- 写メ、好きな人の写メ大事 かわい~
- お会いしとうございます。好き
これが35歳で妻のいる国会議員のLINEか!と世間から大バッシングを浴びましたが・・・
浮気中の夫のLINEの中身なんて、年齢関係なく、大半そんなもんですよ(苦笑)
浮気夫だった宮崎元議員を弁護するわけではないですが、この頃宮崎元議員は、育休宣言に端を発する自民党オジサン議員たちのハラスメントに遭っていて、かなりストレスのかかった状況だったようです。
宮崎元議員は世襲議員ではないですし、育休宣言(&不倫騒動)まではそれほど有名人でもありませんでした。(見かけたことありますが、議員オーラなかったです。背が高すぎてイケメンかどうか見えませんでした 笑)
育休宣言で全国から大注目され、一方、保守的な自民党先輩議員から毎日呼び出されて怒鳴られ、この時期の宮崎元議員の心労は相当なものだったとか。(※)
ストレスの逃げ場として浮気に走るという話も、本当によく聞きます。
とはいえ、宮崎元議員がかなり女性好きというのはカクジツと思いますが(笑)、「1日にLINE400通」という極端な行動は、苛烈なストレスの反動だったのではないかと推測します。
(もういちど言いますが、浮気夫を弁護しているわけではありません。男性側も女性側も、自分本位で軽率な行動をした結果、人を傷つけたということは、間違いないと思います)
※:2018年8月15日 Yahoo!ニュース 小酒部さやか「自民党先輩議員たちからのパタハラ&パワハラが苦しかった。宮崎謙介元議員が今だから言えること」
京都のマンションでの密会を文春砲にブチ抜かれる
1月4日に出会い、1月中に都内で2回の密会をした宮崎謙介元議員と宮沢磨由さん。
1月30日、31日には、宮崎元議員の選挙区だった京都の自宅マンションで密会します。

京都市伏見区で最も賑やかな大手筋商店街に近い6階建・17戸の小さいマンション。
隣は当時業務スーパーとダイソーが入ったショッピングビルだったので、常時それなりに人通りがある場所です(今はイオンが入っています)。
普段は東京の議員宿舎で妻の金子恵美元議員と暮らしていた宮崎元議員は、週末などに地元回りをするためにこのマンションを借りていたようですね。
このときの密会の様子が週刊文春のカメラマンに撮影されていました。
妻の金子恵美元議員は、2月5日に長男を出産。
同じ日に宮崎元議員は、文春の突撃取材を受け、産後の妻に不倫を告白。
(ここで2人の不倫恋愛は強制終了。つまり会ったのは3回だけ)
2月10日に、スクープ記事が掲載された週刊文春2016/2/18号が発売。
2月12日に、宮崎元議員の釈明記者会見と議員辞職表明。
2月16日午後の衆議院本会議にて、衆議院議員を辞職しました。
不倫騒動後、宮崎謙介元議員と宮沢磨由さんは世間の大バッシングにさらされました。
宮沢さんを非難する声はたくさんありますが、ここではポートレートモデルとしてのカメラマンからの評判をとりあげたいと思います。
ポーズや表情作りはよくできています。大規模撮影会で、場所が広く、背景が雄大な場合は、体全体を使った大きいポーズがいいと撮影中に言いました。躍動感がある体全体を使ったポーズができています。さすがダンサーです。
http://21-civilization.com/portrait/youfuku/201006kasairinkai-miyazawa/miyazawa03.html
宮沢さんを撮影しているとき、一般のおばさま二人が宮沢さんを見て、「背筋がピンとしていて、カッコいいわねぇ」「足も綺麗ねぇ・・」と羨ましそうに言われていたのが印象的でした。
http://m-nanase.cocolog-nifty.com/tawagoto/2015/10/post-6e27.html
カメラマンの数も、彼女がいちばん多いようです。磨由さんは引き締まったバディで、意外に筋肉質です。穏やかな表情も素晴らしく、年齢もそれなりにいっているはずですが、三十路(言っちゃった)の女性にしか出せない気品と色気があります。
https://blog.goo.ne.jp/miyako-diver/e/ad3dbd2b3c71b25f0d25ae5245e11e7c
宮沢磨由さんは、スタイルのよさはもちろん、ダンサーだけあって姿勢やポーズも優れていて、安定感あるモデルさんだったようですね!
この記事では、宮沢磨由さんの現在、生い立ちと学歴、ダンサーやモデルなどのお仕事、そして宮崎謙介元議員との騒動についてまとめました。
文春砲で悪いイメージが先行しがちですが、幼い頃からダンスなどの練習を重ねてきて、その道の仕事に就き、着実に活動して評価されてきた方だと思います。
地道な努力なくして、表に出ることはできない世界ですから・・・
現在は子育て中とのことですが、ブログは閉じていないようなので、美しいママさんぶりを、いつかまた見せてほしいです!