昭和のアイドル全盛期に「シブがき隊」として一世を風靡し、現在は俳優として活躍する本木雅弘さん。
妻の内田也哉子さんはエッセイスト・翻訳家として活躍し、2人の間には3人のお子さんがいます。
このブログ記事では、本木雅弘さん(モックン)と内田也哉子さん夫妻の馴れ初め・夫婦関係・評判についてまとめました。
※「元木ややこ」「本木ややこ」で検索して来られる方が多いのですが、本木雅弘さんは、内田也哉子さんと結婚した時に婿入りされているので、本名は内田雅弘であり、奥様のお名前も内田也哉子です。
本木雅弘(もとき・まさひろ) プロフィール
- 生年月日:1965年(昭和40年)12月21日 ※2024年で59歳
- 出身:埼玉県桶川市
- 職業:俳優
- 本名:内田雅弘(旧姓:本木)
- 血液型:A型
- 身長:174cm
- 事務所:メンズアート
モックンの実家は埼玉郊外の米農家で、しかも江戸時代から15代続く豪農です。
モックンは3人兄弟の次男として生まれました。
内田也哉子(うちだ・ややこ) プロフィール
- 生年月日:1976年(昭和51年)2月11日 ※2024年で48歳
- 出身:東京都
- 職業:エッセイスト・翻訳家
- 本名:同じ
- 血液型:B型
- 身長:非公表(推定 167cm程度)
也哉子さんは、ミュージシャン・内田裕也さんと女優・樹木希林さんの一人娘として生まれました。
★キョーレツな個性の両親のもとに生まれた内田也哉子の生い立ち↓↓↓
也哉子さんは1歳半から12歳までインターナショナルスクールに通い、9歳のときにはNYへ1年間の短期留学を経験していました。
英語が喋れたことが、その後の恋愛・結婚に大きな影響を与えることになります。
モックンと也哉子さんの出会いは、モックン25歳、也哉子さん15歳のときです。
父・内田裕也の映画共演者として会食
母・樹木希林さんと父・内田裕也さんは結婚後すぐに別居しており、裕也さんと也哉子さんは年に1回、父の日に会っていたそうです。
15歳の父の日、也哉子さんとの面会をすっぽかしてしまった裕也さん。
すると数日後、裕也さんが也哉子さんに「今、寿司食ってるから来い」と連絡をよこしました。
也哉子さんが六本木にあるそのお店に行ってみると、数人のグループの中にいたのがモックン。
そのとき内田裕也さんは、映画『魚からダイオキシン!!』をプロデュースしていて、モックンは共演者の1人でした。
とはいえ、この日の也哉子さんとモックンは、挨拶を交わした程度だったそうです。
おっきなテーブルにみなさんがワイワイしてて。
私は『あっち座ってろ』って言われて、一人で誰とも交わらず、小一時間ぐらい、ご飯だけ食べさせてもらって、『じゃあ、帰ります』って
と、当時中学3年生だった也哉子さんは振り返っています。
モックンが惹かれた、内田也哉子の「無性性」
一方モックンの方は、この日のことを
こんな15歳、見たことないっていうような、落ち着き払った態度でいて、ひそかにその存在感に惹かれていた。
と語っていますので、モックン側は10歳年下の也哉子さんに、何か感じるものがあったようですね。
またモックンは、
素敵だっていうことよりも『何なんだろう?』っていう
とても若いけど、若いなりに達観しているというか、老成しているというか
またある種“無性性”というか、女性というものが見えたり見えなかったりする
そういった色んな意味での“得体のしれなさ”というのが、惹かれたポイントだったかな。
と、也哉子さんに惹かれた理由について述べています。
20代半ばのモックンは、シブがき隊解散後も芸能界のトップ層で活躍していました。
きっと、女優・アイドル・モデルなど「美女中の美女」ばかりを目にする環境だったことでしょう。
そんな中で、「無性性」を持つ也哉子さんのたたずまいに、新鮮な魅力を感じたのかもしれませんね。
モックンが17歳の内田也哉子さんにプロポーズした言葉は?
その後、モックンと也哉子さんが2人で過ごすきっかけになったのが、翌年のモックンの米国ロケ。
日本で初めてアメリカのアカデミー賞をBSで生中継する企画があり、モックンがナビゲーターを務めることになりました。
当時のモックンの所属事務所社長と内田裕也さんの仲がよかったことから、英語を喋れる也哉子さんが、アルバイトで通訳としてついていくことに。
映画が大好きな高1生だった也哉子さんは、ふたつ返事で引き受けたそうです。
そして、撮影の合間にモックンと也哉子さんはいろいろな話をしました。
フランス語を学びたくて、数ヶ月後にスイス留学を控えていた也哉子さん。
モックンと住所交換をして、東京とジュネーブの間で、エアメールやファックスでの「文通」が始まったのだそうです。
モックンが17歳の内田也哉子さんにプロポーズした言葉は?
文通といっても、忘れた頃に届いたり、也哉子さんがスイス国内で小旅行に行ったときに絵葉書を出したり・・・というやりとりだったそうです。
17歳の夏休みに也哉子さんが一時帰国して、西麻布の関西割烹「川奈」で、モックンと初デート。
そのときモックンは、
この人、大人になったらどうなるなだろうって興味津々で。彼女のほうがさっさと歩いてるんですけど、後ろ姿を見ながら、白髪になったらいいだろうなみたいな・・・
という思いを抱き、
私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。 今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください
とプロポーズしたのだそうです。
そのときは、付き合っているわけではなかったので、也哉子さんはとてもビックリしたそう。
実は樹木希林さんがモックンのことを「あの人、絶対ゲ○だから」と言っていて、だからこそ下心がなく安心と思っていたそうです。
也哉子さんが帰宅して、希林さんに「(本木さんが「結婚」なんて)そんな突拍子もないこと言うんだよ」と言ったら
希林さんの反応は「ああ、そうなんだ?女の人が好きなんだ‥‥」という反応だったそうです(笑)
娘の留学中に、母・樹木希林さんが「婿が欲しい」とフライング!
樹木希林さんは娘の也哉子さんに、もともとは「結婚相手はカタギの人にしてくれ」と言っていたそうです。
芸能生活が長い希林さんは、芸能界と関係のない堅実な人と結婚してほしいと願っていたようですね。
しかし希林さんは、モックンのが15代続く大農家の次男であると知って、「この子は、突然変異で芸能界で役者になっただけなんだ。この本木家のすばらしい遺伝子を、もし内田家におすそわけいただけるんなら‥‥」と、2人の結婚にすっかり前向きになってしまったそうです。
希林さんは、仕事先でモックンに会った際に「次男だから、なんとか、うちにお婿さんに来てもらえないか」とお願いをし、也哉子さんのスイス留学中に話を進めてしまったとか・・・(※)
※:2019年12月27日 ほぼ日「家族。 対談 内田也哉子×伊藤まさこ」
内田也哉子さんはパリの大学を中退し、19歳でモックンと結婚
也哉子さんは、スイスの高校を卒業した後、パリの大学に進学しました。
「文通中」のモックンとの間に結婚の話が出たとき、也哉子さんが希林さんに相談すると・・・
そういうのもありね。
そういうふうに早く人生お先にね。
早く家族を築き上げる作業というか、そういうことを先にしちゃって、そこから子どもたちの手が離れたら、好きな仕事を見つけるということだって全然いいんじゃない?
という答えだったそうです。
そして大学についても、希林さんから「休学していいんじゃない?」「結婚や人との出会いは計画してできるものじゃないから」というアドバイスがあり、結婚というものがよくわからないまま、結婚することが決まってしまったのだそうです・・・
モックンは29歳で、最も向いていない「結婚」に身を投じた
一方モックンは・・・
シブがき隊時代から、「自分はニセモノ」「自分の芸はモノマネ」という劣等感を抱いていました。
テレビに出たいという憧れから、14歳のとき軽い気持ちでジャニーズ事務所に履歴書を送り、16歳でデビュー。
あれよあれよという間にトップアイドルになり、女の子たちの黄色い声援を浴びる毎日。
しかし、本当の自分は凡人なのに・・・という気持ちがあり
「本物じゃない」
「人の心を打つような歌唱力じゃないし」
「この芸能界において実力で勝ち取っていったものではない」
という思いを持ちながらの芸能活動をされていたそうです。(※)
シブがき隊解散後のモックンは、個性派俳優としてトガった存在感を発揮。
映画『ファンシィダンス』で頭を丸め
『シコふんじゃった。』ではマワシ姿を披露しました。
也哉子さんとの出会いのきっかけとなった映画『魚からダイオキシン!!』も、原作が内田裕也、監督が宇崎竜童、音楽が大野克夫、横山やすしやビートたけしまで出演するという異色作品です。
映画以外にも、篠山紀信撮影のヌード写真集『white room』を発刊したり
紅白歌合戦でお尻を出す過激なパフォーマンスをしたり・・・
世間に話題を与えていたモックンでしたが、空虚さも感じていたとか。
そんな空虚さを埋めるために、29歳で最も向いていない「結婚」に、身を投じたのだそうです。(※)
モックンはインタビューで、
自分には、絶対に向いてないと思ったけど、「自虐で結婚してみようか」とか。
まあ、実際には、それで許してくれる相手じゃなかったら結婚できなかったわけですけど
とにかく「こんな者でよければ試してみませんか」と言って結婚して
私が勝手に望んで、はやめに子どもをつくって、結果的に今、3人、いるんですけれどね。
と自分の結婚について語っています。
モックンと内田也哉子さんの結婚は、ご本人たちにとって「実験的」なものだったようですね!
※2020年3月28日 NHK プロフェッショナル 仕事の流儀 本木雅弘スペシャル より
2人の結婚に、ビートたけしがユニークなコメント
本木雅弘さんと内田也哉子さんは、平成7年7月7日に「七夕婚」をしました。
1995年、モックンは29歳で也哉子さんは19歳の夏のこと。
2人の結婚の媒酌人は、故・永島達司氏。
日本初のプロモーターであり、ビートルズを始めとする有名海外アーティストの日本公演を手掛けた第一人者です。
結婚式は明治神宮で行われ、樹木希林さんが買ってきた数千円の古着の着物で挙式をしたことが、話題にもなりました。
結婚報道後にビートたけし氏が、フジテレビ『北野ファンクラブ』の中で、2人の結婚についてユニークなコメントをしています。
娘さん見たことあるよ。留学してんだよ、外国。結構大きくてかわいい。
裕也さんがお父さんだぞ。これはすごいだろ。お前ロックをどう思ってんだと言われちゃうよ。
映画一緒にやった。(中略)モックン役者に目覚めてすごいんだよ
ここで登場するたけしさんとモックンの共演映画とは、石井隆監督の『GONIN』です。
モックン、トガってたなあ・・・
内田也哉子さんは、脳科学者・中野信子さんとの共著書『なんで家族を続けるの?』の中で、
「うちは結婚後しばらくして、離婚を考えていたの」
と衝撃的な発言をされています。
なぜモックンと也哉子さん夫妻は、離婚危機を迎えてしまったのでしょうか。
「文通」からいきなりの結婚
2人は4年間、東京とジュネーブに遠く離れ、エアメールとファックスで「文通」しながら関係を育んできました。
結婚した日が「初めまして」という状態だったそうです。
しかし、文通ではお互いいいことしか書かないので、いきなり「現実」がやってきました。
また、也哉子さんは父・内田裕也さんと一緒に暮らしていなかったので、「男性が家の中にいる」ということが全くイメージできていなかったそうです。
ちゃんとしたおつきあいを経て結婚じゃなくて、文通ということばと理想と夢の世界だけで、お互いつながった気になっちゃっていて
実際に結婚式を挙げたその日から共同生活を始めたときに、夫はとても忙しかったのでほとんど家にいないし、「これはどういう共同作業なんだ?」というところから行き詰まってしまって。
ようやく帰ってきて会えたときにはなんだかギクシャクして、つまらないことでもめていました。
と也哉子さんは振り返っています。
内田也哉子さんは「共感したい」、モックンは「違いを面白がる」
也哉子さんは「共感したい」と思うタイプで、欧米式の生活の中で育ってきたので、ハグなどを日常的にするのだそうです。
一方モックンは「違いを面白がる」タイプで、ベタベタするのは苦手。
也哉子さんは何事もポジティブからとらえ、モックンはネガティブからとらえるタイプ。
例えば也哉子さんは、「このココアおいしいよね」「そうだね」と盛り上がりたいのですが・・・
モックンは、「でも、シナモンを入れたらもっとおいしいかもしれないのに」と言うので盛り下がってしまうのだとか。
こうした違いをすり合わせていくのが、当時20歳の也哉子さんには大きなストレスになってしまい、
「残念だけれど別れて楽になろう」
と話し合っていたところに、長男の雅樂(うた)さんを授かったことがわかったそうです。
”子ども”という家庭内の別の存在が現れたことで、それまでお互いに向かいすぎていたエネルギーが分散されて、すごく風通しがよくなった。
と、也哉子さんは振り返っています。
こういうとき、旦那さまが「構ってタイプ」だと、妻のエネルギーが子どもに向かうことで、拗ねたり浮気に走ったりするのかもしれませんが・・・
モックンの場合は、お互いの違いを大事にして、自分のお仕事に集中される性格。
お子さんが生まれたことで、夫婦関係は改善していった模様です。
★↓↓↓モックンと也哉子さんの子育て方針、3人の子どもの名前の由来はコチラ
孤独な母親業
也哉子さんは学生の途中で結婚し、社会人経験をしないまま家庭に入ってしまったこともあり、母親業は戸惑いの連続だったそうです。
モックンは家事育児に協力的とはいえ、仕事がとても忙しく、友達はみんな大学生や社会人だったので、とても寂しかったのだとか。
長男・雅樂さんを産んだ2年後に、長女・伽羅(きゃら)さんを出産。
2001年には、樹木希林さんの提案で、東京渋谷区に二世帯住宅を新築しました。
コンクリート打ちっぱなしの建物で、玄関を入ると応接コーナーがあり・・・
1階は樹木希林さんが生前暮らしており、2・3階がモックン一家のスペース。
3階がLDKになっています。L字型キッチンですね~
この家を建てたのは、長男・雅樂さん4歳、長女・伽羅さんが2歳のとき。
希林さんが
「孫が多様な価値観に触れて育つ方がいい」
という考えを持っており、二世帯で住むことになったそうです。
こうしてだんだん家の中がにぎやかになり、兄妹同士も助け合うようになってきたりして、也哉子さんの子育ては少しずつ楽になっていったようです。
★モックン&内田也哉子の3人の子供は皆国際派!!↓↓↓
「ずっと違う星に住んでいる人」「子はかすがい」
也哉子さんはモックンのことを
「ずっと違う星に住んでいる人」
と言い切っています(笑)
私は間違い探しみたいな「こんなに違う、こんなに違う・・・どうしよう、どうしよう・・・」となっていたところで
「違って当たり前。違うからこそおもしろいんじゃない」ということを、お互いに心のリズムを合わせていくのに、26年経ったんですけど、ようやく・・・
それでもまだもめてますから(笑)。
超イケメンで、仕事で成功していて、浮気はせず、家事も積極的な旦那さま。
でも、一緒にいるとネガティブ発言連発・・・
NHKでモックン密着取材の様子を見ましたが、自分の出演するドラマを見ながら、ダメ出しがすごかったです。
也哉子さんも「違う星に住んでいる人」と言い切るほどのネガティブさ。
それでも、インタビューや対談の端々から、モックンと也哉子さんがお互いを尊敬しあっている様子が伺われます^^
そんなモックンと内田也哉子さん夫妻ですが、世間の評判はどうなのでしょうか?
これだけ一人の女性を愛し続けるだなんて、もっくんはかなりロックンロールだねえ。
モックンを一番素敵だと思うのは、内田也哉子の魅力をいち早く見つけ、伴侶に選んだこと。見る目あるよね。
也哉子さん、不思議な魅力がある方だもんなぁ。ステキなご夫婦^^
また、放送作家の鈴木おさむ氏は、奥さんの大島美幸さん(森三中)に教えてもらった也哉子さんのインタビュー記事を見て
なんか、結婚生活に向き合って、結婚がどれだけ大変で、かつ、向き合うとどれだけ素敵なものかを語ってくれてまして。
僕が、これだ!これ!とうなずいてしまいました。人の結婚に関する言葉を聞いて、ここまでうなずいたの初めてかも。
と感激の声をブログに綴っています。
また、プロポーズの言葉についても、
と、すごく誉めています。
不思議な魅力があって、達観したイメージの素敵な夫婦とみられているようですね^^
★長身ぞろい?モックン&内田也哉子ファミリーの身長は↓↓↓
この記事では、本木雅弘さん(モックン)と内田也哉子さん夫妻の馴れ初め・夫婦関係・評判についてまとめました。
どこか個性的で、淡々としていて、でもお互いを尊敬して家族を営んでいるモックンと内田也哉子さん。
「共感したい」という気持ちと、「違いが大事」という気持ちのバランスって、夫婦・家族の永遠のテーマだと思います。
これからも、モックンのドラマや映画、内田也哉子さんの著作が楽しみですし、インタビューなどを通じた夫婦・家族についての発信も期待しています!