祇園甲部の芸妓・つる葉さんは、初の沖縄出身の舞妓さんとして話題となり、明るさと笑顔でとても人気がありました。
2019年に28歳で結婚し、花街を引退したつる葉さん。
このブログ記事では、結婚の経緯・沖縄での生い立ち・芸妓になった理由・引き祝い(結婚引退する芸妓の伝統儀式)の様子についてまとめます。
つる葉(つるは) プロフィール
- 本名:勝連綾菜(かつれん・あやな) ※結婚前の旧姓
- 生年月日:非公開 ※2024年時点で33歳
- 出身:沖縄県那覇市
つる葉さんは、沖縄に住む母・久美子さんに「いずれは結婚を」と言われていました。
そんなこともあり、自身に結婚話が持ち上がったとき、結婚し引退することを決めたのだとか。(※1)
つる葉さんが周囲に結婚することを伝えたのは、2019年2月。祇園甲部で同期の芸妓である紗矢佳(さやか)さんに、一番最初に言いました。
置屋「多麻」のおかあさん(おかみさん)も「幸せになりなさいや」と祝福してくれたそうです。(※2)
そして、4月に恒例の「都をどり」で舞台に立ち、2019年7月25日に引退しました。
お相手については非公開ですが、引退後も京都に住み続けるとのことです。(※3)
- ※1:2019/9/19 毎日新聞「芸妓・つる葉さん 第二の故郷、祇園に感謝 沖縄出身、中学3年で花街へ 結婚を機に引退」
- ※2:2019/10/3 朝日新聞デジタル「『あしたからあんたは裏玄関』涙の母が支えた芸妓引退」
- ※3:2019/9/5 毎日新聞「ながながおおきに 祇園芸妓、結婚で引退 つる葉さん、笑顔生んだ星霜」
つる葉さんは沖縄で、2人姉妹の長女して生まれ、祖母・母・妹の4人家族の中で育ちました。
母の久美子さんは、つる葉さんが小学生のときに離婚し、シングルマザーとして昼はコールセンター、夜はスナックで働いて家計を支えていました。
幼いときから長女らしくしっかり者で、将来について「美容師になりたい」と話していたつる葉さん。(※)
人見知りせず活発な性格で、10歳のときに日本舞踊を始めました。
他にも沖縄の三線を習うなど、芸事に興味があったようです。
※:2019/10/3 朝日新聞デジタル「『あしたからあんたは裏玄関』涙の母が支えた芸妓引退」
那覇市立上山中学校に入学したつる葉さん。
中学2年生のある日、京都物産展で本物の舞妓さんを見て、その姿に魅了されます。
「好きな日本舞踊をどうしてもやりたい」という強い気持ちで、つる葉さんは母・久美子さんに
「ママ、私、舞妓になりたい」と告げました。
初めは冗談と思われましたが、学校のパソコンで祇園や花街について調べ、ノートに書き溜めていったつる葉さん。
それを見た母・久美子さんは、つる葉さんの本気度を知り、その夢を手助けするために、祇園への伝手(つて)を探し始めました。
スナックのカウンターで、沖縄県外から来たお客さん全員に「どなたか、祇園にお知り合いはいらっしゃいませんか。娘が京都の舞妓になりたいと言ってるんです」と声をかけたそうです。
チャンスがあればすぐに渡せるよう、つる葉さんの履歴書と写真も持ち歩いていました。
100人ほどに声をかけて、ようやく祇園甲部の屋形(置屋)である「多麻」に紹介をもらうことができたのだそうです。(※)
中学卒業の直前に久美子さんと2人で京都へ行き、「多麻」で住み込みの修行を始めました。
中学卒業までの学校の授業については、レポート提出で代替してもらったそうです。(※1)
舞妓になるためには、置屋に住み込みで先輩芸舞妓の身の回りの手伝いをし、京言葉や芸事の訓練をします。これを「仕込みさん」と呼び、この期間から舞妓を経て、芸妓として独立(衿替)するまで、自分にお金は入りません。
舞妓デビュー(店出し)するときは、先輩芸妓の名前から一文字いただくのが、この世界の慣習。
約1年間の厳しい修行を経て、2007年3月に先輩芸妓の玉葉さんの名前から「葉」の字をいただき(※2)、舞妓「つる葉」として店出しをしました。
前代未聞の沖縄出身の舞妓さんということで、つる葉さんは多数テレビなどに取り上げられ、明るいキャラクターもあって人気舞妓に。
そして2012年に衿替(えりかえ)をして、芸妓として「自前」になりました。
自前になった芸妓さんは、置屋を出て一人暮らしをするのが一般的ですが、実妹の桜子さんが京都の大学に進学したので、一緒に住んでいたそうです。(※3)
- ※1:2019/9/19 毎日新聞「芸妓・つる葉さん 第二の故郷、祇園に感謝 沖縄出身、中学3年で花街へ 結婚を機に引退」
- ※2:2015/8/26 RBC 琉球放送ラジオ「シャキッとi」
- ※3:2019/10/3 朝日新聞デジタル「『あしたからあんたは裏玄関』涙の母が支えた芸妓引退」
12年間祇園甲部で人気芸舞妓として活躍し、2019年7月25日に結婚引退したつる葉さん。
引退から約1ヶ月経った2019年8月20日に、引き祝いを行いました。
祇園甲部では、結婚すると芸妓を引退するのがしきたり。引き祝いとは、結婚する芸妓の引退儀式です。三角の和紙と、「お赤飯」の”のし紙”をかけた商品券などを配ります。
三角の和紙には、芸妓名と本名が書かれ、端が「入」の形に折られていて、「結婚して家に入る」という意味を持つと言われています。
男衆(おとこし)さんと一緒に、お世話になったお茶屋など約20軒を訪ねて回り、↑を配りました。
男衆は芸舞妓の着付と身の回りの世話を担当する男性。舞妓の長い帯を結ぶのには男性の力が必要なわけですが、現在祇園にも数人しかいません。
つる葉さんは、お茶屋のおかみさんから「寂しくなるなあ」「また遊びに来なさい」と、また稽古のために何度も通った八坂女紅場学園では、京舞井上流家元の井上八千代さんから「これからのことがうまくすすみますように」と声をかけてもらったそうです。(※)
つる葉さんの引退について、twitterから意見を拾ってみました!
一度だけでしたが、彼女に会えたおかげで記憶に残る素敵なお座敷の思い出ができました。私の中では特別な芸妓さんです。
つる葉さんお疲れさまでした。これからもどうぞお元気で
つる葉さん引退されたん😂😂😂身長制限で諦めたけど一時舞妓さんになりたいと夢を見させて頂いた存在です。
12年間お疲れ様でした。これからの生活がご多幸であることを願っています。
つる葉さん、名前で呼んでくれた時すごく嬉しかったの覚えてる。
もう会う機会がないのは寂しいけど、どうかお元気で
つる葉さんも引かれたのか。おつかれさんどした(‘▽’)そして、おめでとうさんどす!
つる葉さんは祇園に入る前から出るときまで、ちゃんとメディア対応しはったんやな。
つる葉さん、本当にお疲れ様でした。
朗らかで、ステキな笑顔で、後輩の面倒見も良いステキなお姉さんでした。
これからのつる葉さんの人生に幸多きあることを願っています。どうかお幸せに。
たくさんの人に夢を与えて、みんなの心の支えになっていた方なんじゃないか。
少なくとも私は、つる葉さんに憧れと尊敬の念を抱き続けています。
これからのつる葉さんの人生が幸せであるといいな。
12年の芸舞妓生活の間、お客様やファンに笑顔を届け、愛されてきたつる葉さん。
祝福と幸せを願う声が、たくさん寄せられていました!
この記事では、つる葉さんの結婚の経緯・沖縄での生い立ち・芸妓になった理由・引き祝いの様子についてまとめました。
沖縄出身者初の芸舞妓だったつる葉さん。
15歳の仕込みさんのときからテレビの密着取材を受け、引退のときも新聞取材を通じて引き祝いの様子を伝えていました。
つる葉さんは引退のとき、「どうやって辞めていくのか疑問に思っている人も多いかと思って」と取材に応じたそうです。
つる葉さんの出演したドキュメンタリー番組を見て、舞妓を志したり花街に興味を持った人も多く、そういう意味で広く世間に花街の世界を教えてくれた存在でした。
明るく親しみやすい笑顔が印象的なつる葉さん。引退後の今も、お幸せに過ごされていることを願っています!