矢沢永吉の前妻・すみ子はユーミンの曲のモデルだった!?浮気夫を下積み時代から支える!

矢沢永吉
1978年(昭和53年)29歳の矢沢永吉(画像出典)文春オンライン

矢沢永吉さんは、言わずと知れた日本のロックミュージシャンの先駆け的存在です。

そんな矢沢永吉さんは、2回結婚していて、下積み時代から支えたのが前妻・すみ子さんでした。

このブログ記事では、矢沢永吉さん前妻・すみ子さんとのエピソード、矢沢さんとのなれそめ、結婚生活、子供、離婚理由についてまとめます。

プロフィール

矢沢永吉(やざわ・えいきち)

矢沢永吉
キャロル時代の矢沢永吉(画像出典)Sirabee
  • 本名:趙永吉
  • 生年月日:1949年(昭和24年)9月14日 ※2022年で73歳
  • 出身地:広島県広島市仁保(現・南区)
  • 身長:180cm
  • 血液型:B型
  • 学歴:広島市立大芝小学校→広島市立中広中学校→広島電機大学付属高等学校(現・広島国際学院高等学校)入学→広島市立広島工業高等学校(定時制)に転校し卒業

矢沢永吉さんは広島出身。3歳のとき母親が家出し、小学2年のとき原爆被爆者の父親が後遺症で他界したため、父方の祖母に育てられました

中学時代にビートルズと出会い歌手になることを決心。高卒後横浜に出てアマチュアバンドで活動し、1972年(昭和47年)23歳のときにバンド「キャロル」でプロデビュー

1975年(昭和50年)25歳のとき、キャロル解散に伴ってソロデビューしました。

前妻・すみ子はユーミン”ルージュの伝言”のモデル?

ユーミンこと松任谷由実さんのヒット曲に「ルージュの伝言」があります。

ルージュの伝言 荒井由実
(画像出典)amazon.co.jp

ジブリ映画「魔女の宅急便」(1989年)のオープニング主題歌なので、ご存じの方も多いでしょう。


この曲は最初、ユーミンの5枚目のシングルとして、1975年(昭和50年)にリリースされました(当時は荒井由実名義)。

歌の主人公の女性が、浮気者の彼氏に業を煮やして、彼氏の母親の元に家出。「あなたの母親にチクって叱ってもらうわよ!」・・・という歌詞。


この曲が収録された1987年(昭和62年)発売のベストアルバム「YUMING SINGLES 1972-1976」の歌詞カードに、次のように書かれています。

実はこの歌のユーミンの人気をいっきに高めたこの曲は、当時人気絶頂のロッカーであった矢沢永吉をモデルに作られたと言われる。

YUMING SINGLES 1972-1976

矢沢永吉さんとユーミンは、1974年9月に一緒にツアーをしたことがあり、親交がありました。

矢沢永吉さんすみ子さんは、キャロルがデビューした1972年(昭和47年)に結婚していますので、この曲の主人公は、当時の妻のすみ子さんと推測されます。


矢沢永吉さんは実のお母さんと3歳で生き別れになっていましたが、その後20歳を過ぎてから再会していました。矢沢さんは実母さんにもらった指輪を、すみ子さんに結婚指輪として贈ったそうです。

すみ子さんが実際にお母さんのもとへ家出したかどうかはわかりませんが、矢沢永吉さんが浮気者だったことは確実だと思います(笑)


なれそめは?

矢沢永吉さんは、1967年(昭和42年)18歳で広島から横浜に出て、アルバイトをしながらアマチュアバンドで歌っていました。


銀行員だったすみ子さんと出会ったのは、矢沢さんが横浜のディスコ「グルッペ」に出演していたとき

矢沢さんはステージで「アイ・ラヴ・ユー、OK?」を歌っていて、すみ子さんは最初、海外曲をコピーしていると思ったそうですが、「いい曲だ、またあの歌を聞きたい」と次の日もグルッペにやってきました。

その姿を見た矢沢さんは、「お、いい女だな。○○○○決めたい」すみ子さんを誘って、しばらくすると横浜のアパートで同棲生活が始まりました

同棲生活は極貧だった?

矢沢永吉さんすみ子さんの同棲生活。アパートの家賃、食費、生活費などは、全てすみ子さんが出していました

すみ子さんは実家を勘当同然で出て、矢沢さんと暮らしていましたが、すみ子さんは徒歩10分ほどのところにあった実家で掃除洗濯をして、代わりに実家のお米をもらってきていたそうです。

矢沢さんはそれに気づかず、「何で米だけは食えるのかな」と思っていたとか・・・


家賃を3ヶ月滞納し、夫婦合わせて350円しかない日もあり、矢沢さんもバンド活動の傍ら、アイスクリームの積み下ろしのバイトで食いつないのだそうです。

自信がないと弱音を吐く矢沢さんに、すみ子さんは、

「やっぱり、あなたのメロディー、聞く度に素晴らしいと思う。絶対いつか認められるから、投げちゃだめ。もう一回やってみなさい。もう一回やってもだめなら、やめればいいじゃない」

と励ましていました。


初期の結婚生活は?

矢沢永吉さんすみ子さんは、キャロルがデビューした1972年(昭和47年)に結婚しました


結婚指輪を質に入れて買った「革ジャン」

キャロルは当初、キャバレーやディスコで洋楽を演奏していましたが、メンバーのジョニー大倉氏がフジテレビ「リブ・ヤング!」に出演希望のハガキを出して、運命が変わりました。

キャロル ライヴ・イン・リブ・ヤング
「リブ・ヤング」でのキャロルのライブ(画像出典)amazon.co.jp

ジョニー大倉氏の提案で、キャロルは「革ジャン+リーゼント」というスタイルで決めていました。その写真にピンと来た番組ディレクターがキャロルの出演を決定

そしてテレビを見たミッキー・カーチス氏の目に留まり、キャロルは「ルイジアンナ」メジャーデビューします

矢沢永吉さんは、結婚指輪――実母からもらい、すみ子さんに贈ったあの結婚指輪を質に入れて、革ジャンを買ったのでした


成功しても生活は質素なまま、でも「一番幸せだった」

キャロルのヒットで、矢沢永吉さんすみ子さんは、ようやく生活が安定しました。

キャロル
(画像出典)ミドルエッジ

他のメンバーは都内にマンションを借りて飲み歩いていたそうですが、小さい子どもを抱えた矢沢家は、川崎の家賃1万7千円の風呂なしアパートで質素な生活をしていたそうです。

矢沢永吉さんは、次のように振り返っています。

すみ子との家庭で、オレが一番幸せを感じて、ああ、これが家庭というものなのか……、と思ったのは、キャロルがデビューして間もないころ、すみ子のお腹に長男がいて、まだ川崎のアパートに住んでた、あのころだった。すみ子もあのころが一番よかったと言っていた。

矢沢永吉「アー・ユー・ハッピー?」角川書店, 2004年

子供は3人

矢沢永吉さん前妻・すみ子さんの間には、3人のお子さんがいました。上に男の子が2人、一番下に女の子が1人です。

  • 長男 栄一郎さん(1972年頃に誕生)
  • 次男 寛十郎さん(1976~1977年頃に誕生)
  • 長女 綾子さん(1978年頃に誕生)

3人とも一般人ということで写真などは公開されていません。


離婚理由は?

矢沢永吉さんすみ子さんは、結婚17年後に離婚しました。離婚につながったと思われる5つの出来事を挙げていきます。

仕事一徹な夫と、子育てに追われる妻のすれ違い

矢沢永吉さんはキャロルで成功し、1975年(昭和50年)にソロデビュー

お金はドンドン入ってきましたが、すみ子さん「あなたが遠くへ行っちゃうような気がして」と言ったそうです。


1976年(昭和51年)頃、矢沢さんは、横浜の自宅でセカンドアルバム「A・DAY」の曲作りをしていました。

矢沢永吉 ア デイ
(画像出典)amazon.co.jp

その頃すみ子さん「家に仕事を持ちこまないでくれ」「私は朝8時に家を出て、夕方6時にちゃんと帰ってくれる男と一緒になりたかった」とグチっていたそうです。

24時間仕事をしていた矢沢さん。曲づくりだけでなく、家から会社に何時間も電話をして、時には電話ごしにスタッフを怒鳴ることもありました。

電話のそばでは子どもが泣いていて、家事と育児に追われるすみ子さんのストレスは半端ではなかったでしょう。


新曲を聞かせても「いい曲ね」とは言うけれど、あとは「わからない」「私に聞かないで。会社の人に聞いて」というようになっていったすみ子さん

矢沢さん「音楽家の女房なら、一緒に音楽のことを話し合ったり、アドバイスしてほしいと思っていた」「寂しくて夜中の酒が増えた」と語っています。


矢沢永吉さんは寂しがりで、いつでも自分に最大の関心を向けてほしかったのでしょう。一方すみ子さんも、家族一体となって過ごしたいという寂しい気持ちがあったことと思います。寂しい気持ちのすれちがいが生じていたのでしょうね・・・


現在の妻・マリアとの浮気

矢沢永吉さんは、1977年(昭和52年)、知人に勧められて行った青山のバーで、現在の妻であるマリアさんと出会います

当時28歳だった矢沢さんは、その頃3人の女性を「落とそう」としていました。1人目は女優、2人目は22~23歳の普通のOL、3人目がマリアさん(当時23~24歳)。

最初の2人とは盛り上がらず、「一番遊んでそうな女」だったマリアさんとデートしたところ、マリアさんに惚れ込んでいったそうです。


※既婚者、2児の父ですよ!


さすがユーミンの「ルージュの伝言」に登場した浮気者だけあり、矢沢永吉さんは結婚後も、遊びが激しかった様子です。

すみ子さんと離婚するつもりは毛頭なく、妻子への罪悪感につきまとわれていたそうですが、矢沢さんは段々と家に帰らなくなっていきました

「時間よ止まれ」「ゴールドラッシュ」の大ヒットで超多忙に

1978年(昭和53年)は、29歳の矢沢永吉さんにとって大躍進の年でした

5枚目のシングル「時間よ止まれ」ミリオンセラーを記録し、アルバム「ゴールドラッシュ」大ヒット!

矢沢永吉 時間よ止まれ
(画像出典)amazon.co.jp

自伝「成りあがり」も、不良少年たちのバイブルになりミリオンセラーに

成りあがり
(画像出典)amazon.co.jp

コミック版もヒットしました。

漫画 成りあがり
(画像出典)amazon.co.jp

矢沢永吉さんは、高額納税者ランキング(歌手部門)で1位を獲得し、名実ともに日本のトップアーティストになりました。

しかし、超有名人になったことで、手痛い有名税が発生してしまったのです


山中湖の豪邸新居に「ファン公害」

不倫する男性の脳内って不思議だなあと思うのですが、マリアさんと浮気スタートした1977年(昭和52年)に、矢沢永吉さん山梨県・山中湖村に土地を買っています

山中湖
(画像出典)公益財団法人やまなし観光推進機構

それまで住んでいたのは、横浜の家賃7万円の賃貸物件。「次男も産まれたので家を建てよう!」と思ったのだそうです。


そして1978年(昭和53年)28歳のとき、矢沢さんは山中湖に、1億円の豪邸を新築しました

矢沢永吉 山中湖自宅
(画像出典)「矢沢永吉 山中湖の自宅で家族やファン・マスコミについて語る」
矢沢永吉 山中湖自宅
(画像出典)「矢沢永吉 山中湖の自宅で家族やファン・マスコミについて語る」

家族それぞれの部屋があり、スタジオもプールもある新居。

矢沢永吉 山中湖自宅
(画像出典)「矢沢永吉 山中湖の自宅で家族やファン・マスコミについて語る」
矢沢永吉 山中湖自宅
(画像出典)「矢沢永吉 山中湖の自宅で家族やファン・マスコミについて語る」

その頃に3人目の長女も産まれます。


しかし週刊誌が、この山中湖の豪邸について詳しく報じ、地図まで掲載してしまいました!

住所をつきとめたファンが100人規模で押しかけ、連日酒盛りをして大声で騒ぐように

矢沢永吉さんは不良少年のカリスマでしたから、ヤンチャなファンが多かったようで・・・

すみ子さんと子どもたちは、精神的につらくなってしまったようです。


矢沢さんも仕事にならず、ますます東京に滞在することが増えました

山中湖からポルシェで東京に向かうとき、すみ子さんと息子たちが外に出ていつも見送ってくれたそうです

矢沢さんは、マリアさんのいる原宿のマンションへ向かうわけで・・・

矢沢さんはいつも罪悪感にさいなまれ、バックミラーを見ながら、すみ子さんと子どもたちに手を合わせていたとか。


山中湖の豪邸のその後

あまりのファン公害に、その後矢沢永吉さん一家はそこに住むことをあきらめ、別の地区に引っ越しました

しかしファンは空き家にも侵入し、落書きをしたり焚き火をしたり・・・

矢沢永吉 山中湖自宅 取り壊し前
(画像出典)https://4travel.jp/travelogue/11539135

結局、矢沢さんは荒れ果てたこの家を取り壊し、更地にしたとのことです。


苦い思い出の地となってしまった山中湖ですが、矢沢さんは2014年と2016年に山中湖村で開催された夏フェス「SWEET LOVE SHOWER」に出演しています

また、今でも山中湖村には「永ちゃん通り」という地名があり、Googleマップにも掲載されています!

永ちゃん通り地図
(画像出典)Google Maps
永ちゃん通り
(画像出典)やまなかこ宝めぐりマップ




米ロサンゼルス進出で本格別居へ

1980年(昭和55年)、矢沢永吉さんは全米進出のため、アメリカ・ロサンゼルスに拠点を移します

すみ子さんと3人の子供たちは日本に残ったので、本格的な別居生活となりました

渡米前、矢沢さんはすみ子さんに「自分に、いま、大事にしてる女がいる」と告げ、すみ子さんは泣いたのだそうです。

矢沢さんはマリアさんとともにロスへ渡り、日本の家族のことを忘れようと、酒を飲み、パーティーをし、アメリカ人と親交を深めていきました。


12年間の不倫の末、ついに離婚。慰謝料は6000万円

すみ子さんとの別居が長く続いていた矢沢永吉さんですが、それでも離婚するつもりはなかったそうです

そんななか、1984年(昭和59年)にマリアさんの妊娠が発覚します

矢沢さんは堕胎を求めたそうですが、マリアさんは「あなたの子どもを産みたい」と固辞。このときマリアさんは31~32歳でした。

そのときマリアさんは流産してしまいますが、すぐ後に再妊娠し、1985年(昭和60年)に長女(歌手の矢沢洋子さん)を出産


洋子さんの誕生がきっかけとなり、1989年(平成元年)9月に、矢沢永吉さんとすみ子さんは協議離婚しました

別れるとき、すみ子さん「本当に終わってしまうんだったら、なぜもっと早く別れてくれなかったの……。私ももう40歳……」と言ったそうです。

慰謝料は矢沢さん曰く「ポルシェ3台分」とのことで、約6000万円くらいだろうと推測されています。

前妻への感謝の言葉

矢沢永吉さんは、離婚後の著書の中で、前妻・すみ子さんへ感謝の言葉を述べています。

苦しい時代にすみ子に出会って、結婚した。あのころのオレは、家庭というものに飢えていた。(中略)オレみたいな家出同然で広島から出てきた男に、パッと出会っただけでついてきてくれたすみ子には感謝している。

矢沢永吉「アー・ユー・ハッピー?」角川書店, 2004年

すみ子にはなんの落ち度もない。世話かけっぱなしだ。人間として尊敬している。一円玉を六十枚集めて、アルバイトに行くための電車賃をつくるような生活をしてたオレについてこれた女が、あのとき、いったい何人いた……。

矢沢永吉「アー・ユー・ハッピー?」角川書店, 2004年

矢沢さんは、「なぜこんなにあいつをひきずり回してきたのか、そういう自己嫌悪はいまもある」と、すみ子さんへの想いを語っています。


世間の評判

矢沢永吉さんの初期の著書「成りあがり」のアマゾンレビューから、前妻・すみ子さんについて書かれているものを紹介します。

初婚の奥様との離婚に対しては本書の美談は虚偽だと、多くの誹謗中傷を受けたらしい。でも、僕は思う。”誰にだってある心変わりに過ぎないじゃないか。矢沢永吉だってただの人間なんだから”

https://www.amazon.co.jp/dp/4041483034/

この本は1978年となんと40年前の本なので、今の永ちゃんに、あれからどう変わったか?ということを是非聞いてみたいです。(詳細は知りませんが、あんなに褒めていた恋女房とも結局袂を分かったみたいですし・・・)「いや~、あの頃は若かったよね~。勘弁してよ」なのか、「流石若い時の俺だね」と言うのか・・・??

https://www.amazon.co.jp/dp/4041483034/

この頃の矢沢永吉はとてつもなくかっこよくて魅力的だった。この成りあがりは何十回は読み返したし、バイブルだった。永ちゃんが苦労を共にしたカミさんを大切にしてるところも共感した。でもね、仕事では一本筋を通してるけど、女性関係はナンパだよね。ミュージシャンにありがちな、成功したらそれまでの女を捨てる的な…若い頃苦労をかけた嫁さんを大切にしてるヤツの方が人間的にかっこいいよ。成りあがりに感銘を受けた1人としては前妻さんを大切にしてほしかった。

https://www.amazon.co.jp/dp/4041483034/

初期に出版した自伝「成りあがり」には前妻への感謝が綴られていて、その25年後、離婚後に出版した自伝「アー・ユー・ハッピー?」には不倫と再婚が赤裸々に綴られています。

「成りあがり」の突き抜けたサクセスストーリーはカッコイイけれど、そこから数十年経ってみると、不倫再婚劇に対しては賛否両論のようですね・・・


まとめ

この記事では、矢沢永吉さん前妻・すみ子さんのエピソード、矢沢さんとのなれそめ、結婚生活、子供、離婚理由についてまとめました。

私は矢沢永吉さんの離婚後の自伝「アー・ユー・ハッピー?」を読んで、矢沢さんが渡米するときに、現妻・マリアさんのことをすみ子さんに告げ、すみ子さんが泣き出したシーンが、切なくて仕方なかったです。

どんなにつらかったことか。

矢沢永吉さんは日本屈指のスーパースターで、そのハングリーな生い立ち、成功への野心は、一般人と全くスケールが違うわけですが・・・

すみ子さんというひとりの女性の人生に思いを馳せると、心変わりが無情で切ない、というのが一番の感想でした。

★↓↓↓矢沢永吉さんの現在の妻・マリアさんの画像、なれそめ、子供についてはコチラ

★↓↓↓矢沢永吉さんの生い立ちについてはコチラ

<参考文献>

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