
エッセイストで翻訳家の内田也哉子さん。
夫はモックンこと本木雅弘さんで、母は女優の樹木希林さん、父はミュージシャンの内田裕也さんという芸能ファミリーで生きてこられました。
20代の也哉子さんの写真がカッコイイ!!
このブログ記事では、也哉子さんのプロフィール、若い頃の写真、生い立ちと現在について紹介します。
※「元木ややこ」「本木ややこ」で検索して来られる方が多いのですが、本木雅弘さんは、内田也哉子さんと結婚した時に婿入りされているので、本名は内田雅弘であり、奥様のお名前も内田也哉子です。
内田也哉子(うちだ・ややこ) プロフィール

- 生年月日:1976年2月11日 ※2024年で48歳
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 家族構成:夫・本木雅弘(俳優)、長男・内田雅樂(UTA/モデル)、長女・内田伽羅(きゃら)、次男・内田玄兎(げんと)、父・内田裕也(ミュージシャン/2019年3月17日没)、母・樹木希林(女優/2018年9月15日没)
身長は未発表ですが、167cm程度と推定されます。
★本木雅弘・内田也哉子ファミリーの身長についてはこちら↓↓↓
本名は同じで「内田也哉子」。内田裕也さんの「也」の字を入れて、樹木希林さんが名付けたそうです。(※)
夫の本木雅弘さんは内田家の婿養子に入られていますので、本名は「内田雅弘」であり、3人のお子さんたちは全員内田姓です。
内田也哉子さんは、なんと19歳で本木雅弘さんと結婚されています。
★↓1995年7月、明治神宮での挙式の写真です(19歳)

★↓1997年には、資生堂・プラウディアのCMに登場(21歳)


「Proudia…」「One More 美人」の発音がネイティブっぽくてカッコよかったのを覚えています。
也哉子さんは1997年10月1日、21歳で長男の雅樂(うた)さんを出産しているんですよね。
★↓1998年1月頃、生後4ヶ月の雅樂さんのお宮参り(21歳)

学生のような若々しいママですね。
紫の着物がよくお似合いです!
★↓フリーペーパー『dictionary』1999年3月号(23歳)

オシャレな也哉子ママと、やんちゃそうな雅樂さん。
也哉子さんの若い頃の写真の中で、私はこれが一番好きです♪
★↓『an・an』1999年9月24日号(23歳)

2人目のお子さん(長女の伽羅さん)が1999年9月16日生まれなので、臨月頃の写真でしょうか。
★↓2001年の写真(25歳)

奥にいる長女・伽羅さんは、当時1歳2ヶ月でした。
★↓2001年『別冊太陽 昔きものと遊ぶ』所収の写真(25歳)

長男・雅樂さんが4歳、長女・伽羅さんが2歳くらいのときです。
也哉子さんが着ている着物は、雅樂さんのお宮参りのときと同じですね。
★↓2006年、映画「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(30歳)


母の樹木希林さんが「オカン」として出演したこの映画。
也哉子さんはオカンの若い頃を演じました。
「東京タワー~」の映画公開は2007年でしたが、撮影は前年の2006年に行われていますね。
当時30歳の内田也哉子さんですが、現在とあまり変わらなくて驚きです!
母の樹木希林さんもそうでしたが、年齢を超越した魅力がありますね。

(画像出典)文春オンライン
内田也哉子さんは、1976年、女優・樹木希林さんとミュージシャン・内田裕也さんの一人娘として、東京で生まれました。
「ややこ」という珍しい名前は、母の希林さんが付けたそうです。
最初に「也」が来るのは、希林さんが内田裕也さんを大変慕っていて、裕也さんの「也」の字を最初に持ってくることにこだわったから。
そして、「きききりん」という芸名が示すように、希林さんは重なる音が好きだったようです。(※1)
(ちなみに、樹木希林さんの本名は「内田啓子」さんです)
名づけのエピソードが示すように、夫の内田裕也さんのことが大好きだった樹木希林さんですが・・・
結婚生活は壮絶なものでした!
内田裕也さんは逮捕歴3回!(大麻取締法違反・銃刀法違反・脅迫&住居不法侵入)
度重なる女性との交際・・・
結婚8年目の1976年(昭和51年)には離婚裁判!!
(裕也さんが区役所に離婚届を提出したところ、希林さんが無効の訴訟を起こして、希林さんが勝訴しました)
希林さんと裕也さんが同居したのは最初の1~2ヶ月で、約45年は別居生活だったそうです。
内田也哉子さんがお父さんと会うことは、滅多にありませんでした。
「たまに会えば怒号とモノが飛び交う。包丁を持ち出すほどのケンカになっても離婚しない」
と、也哉子さんは振り返っています。(※)
内田也哉子さんは、
- 西町インターナショナルスクール
- 9歳でニューヨークに1年留学
- 地元の公立小学校(6年生の途中から)
- 目黒区立第一中学校
- 都立城南高等学校
- スイスのインターナショナルスクールへ留学
- フランスの大学へ留学
と、さまざまな学校に通われてきました。
小学校は、東京の老舗名門校である西町インターナショナルスクール!
也哉子さんは1歳半のとき、西町インターのプリスクールに入学しました。
也哉子さんは
「英才教育でもなんでもなく、匿名性を求めて入ったんです」
とおっしゃっています。

そう、也哉子さんがインターに入学したのは、両親である樹木希林さんと内田裕也さんの、離婚裁判の真っ最中。
普通の幼稚園に入れようとしたら、幼稚園側から
「芸能人でしょっちゅう騒がれている人の子は預かれない」
と言われてしまったとか・・・
外国人児童と保護者なら、日本の芸能界に興味を示さないということから、インターを選んだのだそうです。
そして也哉子さんは、9歳のとき、単身で1年間アメリカ・ニューヨークへ留学します。
西町インターの校長先生が、「也哉子、兄弟欲しい?」と尋ねてきたので、一人っ子の也哉子さんが「欲しい」と答えると、校長先生の弟さんのもとにホームステイできるよう手配してくれたそうです。(※1)
1年後帰国し、今度は小学校卒業資格を得るため、そして日本語を習得するため、地元の公立小学校に転入。(※2)
(当時はまだインターが無認可だったため、教育委員会に「義務教育を受けていない」と言われたとか)
小学校卒業後は目黒区立第一中学校、そして都立城南高等学校(2004年閉校)に進学しました。
高校2年のとき、フランス語を習得したいと思い、スイス・ジュネーブのインターナショナルスクールに留学。
現地ではアートを専攻したそうです。
その後はフランスの大学に進学しましたが、1学期で休学して帰国。
そして19歳で、モックンこと本木雅弘さんと結婚したのです。

樹木希林さんと内田裕也さんが別居生活を送っていたため、一人娘の内田也哉子さんは「ほぼ母子家庭」で育ちました。
希林さんは、明治時代の女性のように気丈で、ベタベタと也哉子さんを甘やかしたりかわいがったりということはなかったそうです。
小学生の頃から鍵っ子だった也哉子さんですが、家事のやり方なども「1度教えたら終わり」で、あとは自分で失敗しながら学びなさいという方針でした。
也哉子さんは、
「そもそも私を子どもとして扱ってなかったですね。
それこそヨチヨチのころから。
もちろん赤ちゃんことばは使わなかったですし、大人と話すようなあの語り口で私に何でも話してくれたし、子どもだから言わない・教えないとかも、あまりなかったように思えますね」
と振り返っています。(※)

「あれはダメ、これはダメ」「勉強しなさい」ということは一切言われず、門限もなかった也哉子さんの少女時代。
しかし、小さい頃から自由だった代わりに、重い責任を感じてしまっていたそうです。
也哉子さんは、「全部自分で決めなければいけない」ということが子ども心に苦しくて、
「お友達が思春期になって親のルールからはみ出したいって当然思うじゃないですか?
それがすごく『健やかだな』って思っていて、私はむしろ止めてくれる人がいないし、責任は自分が取らなきゃいけないから、ある意味「自由ってなんて苦しいんだろう」と思ってましたね」
と語っています。(※)
何事も自分で考えさせたり、海外留学をさせたり・・・
樹木希林さんの子育ては、子どもの「自立・自律」を大事にするものだったようですね。
内田也哉子さんは現在、主にエッセイスト・翻訳家として活躍されています。
内田也哉子の著書

(画像出典)文春オンライン
内田也哉子さんが書いたエッセイや対談集です。
- ペーパームービー(1996年 朝日出版社)
- 会見記(2001年 リトルモア)
- 親と子が育てられるとき(志村季世恵と共著 2002年 岩波書店)
- BROOCH(2004年 リトルモア)
- 9月1日 母からのバトン(樹木希林と共著 2019年 ポプラ社)
- なんで家族を続けるの?(中野信子と共著 2021年 文芸春秋社)
内田也哉子さんがエッセイを書き始めたきっかけは、編集者でクリエイティブディレクターの秋山道男さん。
秋山さんは、「無印良品」「小泉今日子」「チェッカーズ」「日本新党」などをプロデュースしたスーパークリエイターです。
也哉子さんは、結婚してすぐの19歳のとき、秋山さんから
「あなたは何か書いてみたほうがいい」
と、原稿用紙と名入りのモンブランのシャープペンシルを贈られたそうです。(※1)
国語も作文も苦手な也哉子さんでしたが、秋山さんに背中を押されて、初エッセイ集『ペーパームービー』を執筆したのだとか。
内田也哉子の翻訳書

(画像出典)VOGUE JAPAN
内田也哉子さんが翻訳した絵本です。
- たいせつなこと(マーガレット・ワイズ・ブラウン著 2001年 フレーベル館)
- 岸辺のふたり(デュドク・ドゥ・ヴィット著 2003年 くもん出版)
- 恋するひと(レベッカ・ドートゥルメール著 2005年 朔北社)
- ママン-世界中の母のきもち-(エレーヌ・デルフォルジュ著 2021年 パイインターナショナル)
- ピン!あなたの こころの つたえかた(アニ・カスティロ著 2020年 ポプラ社)
- こぐまとブランケット(L・J・R・ケリー著 2021年 ハヤカワ・ジュニア・ブックス)
インターナショナルスクール出身で、英語が堪能な也哉子さん。
スイスで過ごした高校時代には、お小遣いをためて日本ではまだ翻訳されてないような絵本を集めていたとか。
3人のお子さんを育てる中でも、絵本を読む習慣は欠かさなかったそうで、
「読み聞かせをしている時間は子どもたちと交流していることを一番実感できるひとときなんです」
と、子育ての日々を振り返っています。
末っ子の玄兎くんが、也哉子さんに読み聞かせをしてくれることもあったそうですよ。(※2)
★内田也哉子とモックンの子どもたちについては↓↓↓
この記事では、内田也哉子さんのプロフィール、若い頃の写真、生い立ちと現在について紹介しました。
私は也哉子さんのエッセイを愛読していて、家族について、人間関係について、考えさせられることが多いです。
樹木希林さんと内田裕也さんという破天荒なご夫婦のもとで生まれた也哉子さん。
隠しごとをしない希林さんから「大人の事情」をストレートに聞かされ、思春期の頃からさまざまなことを考えてきたそうです。
そうした下地に加え、インターや海外留学で培われた広い物の見方。
希林さんの人脈もあり、養老孟司さん(東京大学教授)・梶川芳友さん(何必館・京都現代美術館長)・谷川俊太郎さん(詩人)など一流の学者・芸術家と交流してきた教養。
それらに紡ぎ出された内容ももちろん、言葉選びのセンスも素敵だなあと思いながら、いつも読んでいます。
これからも、也哉子さんの新しい本やインタビュー記事を、楽しみに待ちたいです♪