不倫騒動ですっかり有名人になった、元衆議院議員の宮崎謙介さん。
現在の妻である金子恵美さんとは再婚です。
最初の結婚相手は、内閣官房長官も務めた加藤紘一氏の娘で、現在衆議院議員の加藤鮎子さん。
元妻の加藤鮎子さんとはどんな女性?
宮崎さんと加藤さんの離婚理由は?
そして、宮崎さんの現在の妻・金子恵美さんと加藤鮎子さんは、どのような関係でしょうか。
加藤鮎子(かとう・あゆこ) プロフィール
- 生年月日:1979年4月19日 ※2024年で45歳
- 出身:山形県鶴岡市
- 学歴:慶應義塾女子高等学校→慶應義塾大学法学部→コロンビア大学国際公共政策大学院
- 現職:衆議院議員(自民党谷垣グループ/自民党女性局次長/山形3区/2014年~)
- 趣味:ダンス、バスケットボール
このブログ記事の要約は、以下の通りです。
- 加藤鮎子は、自民党衆院議員・加藤紘一氏の三女として、1979年山形県鶴岡市に生まれる
- 慶應義塾大学法学部卒業後、民間コンサルを経て、野田聖子議員の秘書に
- 2006年に宮崎謙介と結婚し、同時期にコロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)へ留学
- 宮崎謙介は結婚後、加藤謙介に改姓。ベンチャー企業で出張の多い生活
- 2人は2009年に離婚。実質「遠距離結婚」で、スレ違いと宮崎氏の浮気が離婚理由と思われる。2人の間に子どもはいない
- 宮崎謙介は2012年12月の衆議院議員選挙に出馬し当選(自民党/京都3区)
- 同じ選挙で、加藤紘一(自民党/山形3区)が落選し、後継者に娘の加藤鮎子を指名
- 加藤鮎子は、2014年10月の衆議院議員選挙に出馬し初当選
- ちなみに加藤鮎子は2011年頃に元大手証券マン角田賢明氏と再婚し、現在は2児の母
- 加藤鮎子と金子恵美は、3年間同じ自民党女性議員であり、仲も良かった
それでは、詳しく解説していきます!
加藤鮎子さんのお父さんは、内閣官房長官や自民党幹事長も務めた故・加藤紘一氏。
父だけでなく、祖父(加藤精三氏)も国会議員という、政界サラブレッド!
そんな政治家一家の三女として、1979年に山形県鶴岡市で生まれました。
小学校時代は、ドッジボールやザリガニ釣りが好きな、活発な女の子だったそうです。
小学校の卒業式にスカートを履いて行ったら、「加藤が女装してきた」と言われたとのこと・・・
中学校時代は、バスケットボールに夢中でした。(※)
※:かとう鮎子 Official Site
加藤鮎子さんは、物心ついた頃から、茶の間でくり広げられる政治談議を耳にしてきました。
また、故郷の多くの人から信頼される父・紘一氏を見て、政治家という仕事に特別な親しみと敬意を持つように。
慶應女子高に入学後、カリフォルニアへ1年間留学し、当初は言葉の壁で自分の意見を伝えられず、悔しい思いをされました。
また、寮生活でさまざまな国籍の友人と接し、自分は日本人であるということを強く意識するようになったそうです。
高3になると周囲に「鮎子は絶対政治家になるべきだ」言われ、政治の道を意識して慶應義塾大学法学部へ入学。
ちょうどその頃、自民党内部は内紛で混乱している時期でした。
父の加藤紘一氏は2000年、当時の森喜朗首相の不信任決議案への賛成を宣言した、いわゆる「加藤の乱」に失敗。
当時娘の鮎子さんは慶應大学の1年生でしたが、
「不思議と周りの友人からは、応援の声が多かった。父には、応援されているからね、と伝えていました」
と振り返っています。(※1)
鮎子さんは、大学卒業後の2003年に、経営戦略コンサルティング会社の(株)ドリームインキュベータに入社。
2005年には、衆議院議員・野田聖子事務所の秘書になって、政治の現場に飛び込みました。
折しも郵政選挙で、永田町の抗争はすさまじかったそうです。
鮎子さんは「芯の強い政治家がいなければ故郷を守れない」と考え、コロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)に留学。(※2)
コロンビア大学といえば、アイビーリーグに名を連ねる米国のトップレベル校!
国際経済政策を学び、2008年に国際公共政策(経済)修士を取得しています。(※3)
留学先の大学院では、小泉進次郎氏や中曽根康隆氏(中曽根康弘元首相の孫)とも、同窓生だったそうですよ!
- ※1:2016年10月2日 FRIDAY「独占インタビュー 加藤鮎子代議士が語った『父と前夫に学んだ政治家の資質』」
- ※2:かとう鮎子 Official Site
- ※3:首相官邸ホームページ
宮崎謙介さんと加藤鮎子さんは、2006年3月9日に入籍しています。(※1)
宮崎謙介さんは当時25歳、ITベンチャーの(株)ドリコムで新卒採用を担当していました。
加藤鮎子さんは当時26歳、国会議員秘書をされていた時期です。
2006年の日本人の平均初婚年齢が、夫が30.0歳、妻が28.2歳。(※2)
お二人が高学歴であることを考えると、お若いご結婚ですね。
お二人の出会いやなれそめについては、情報がありません。
宮崎さんは入籍後、加藤姓を名乗っており、ドリコムの後半や、その後2007年に起業した(株)ネオトラディションでは、「加藤謙介」として活動されています。(※3)
↓↓↓25歳で起業された頃の宮崎謙介さんです。
そんな宮崎謙介さんと加藤鮎子さんですが、2009年に離婚されています。
離婚理由は、まず第一に、「実質遠距離結婚で、スレ違いが続いた」のではないかと思われます。
というのも、お二人が結婚している時期に、鮎子さんは米国留学をされています。
SIPAは1年のコースと2年のコースがありますが、加藤さんは2008年に修士号を取得されていますから、婚姻時の大半を米国で過ごされていると考えられます。
現在のようにオンライン講義はなく、そもそも授業と大量のレポートをこなさないと学位を取れません。
小泉進次郎氏も「3時間睡眠で頭が痺れるほど勉強した」とSIPA時代を振り返っています。(※4)
宮崎さんは、当時のブログにこのように書かれています。
2007年01月15日
さわやかな日曜日
妻が帰国していました。今日まで。
ということで日曜日に料理を作ってもらいました。半強制的に。
タイカレー!!
本格的でおいしかったです。久々の手料理でした。
彼女曰くコレが僕への誕生日プレゼントだそうです。
これで26歳を迎えられそうです。
↓↓↓ ブログには、加藤鮎子さんと思しき女性の写真も載せられていました。
宮崎さん自身も、ベンチャー企業のビジネスマンとして多忙な日々を送られていました。
ドリコムは当時ブログサービスの会社で、宮崎さんが営業担当として入社した2005年は、流行語大賞に「ブログ」がノミネートされた年。
宮崎さん入社時は社員13~14人だったドリコムも急成長しました。
宮崎さんは新卒採用の立ち上げを担当し、会社説明会のために東京と関西を往復する日々だったようです。
2007年宮崎さんは、ドリコムを退職とほぼ同時に(株)ネオトラディションを設立されました。
↓↓↓ 大学生対象の講座を行っているベンチャー社長時代の宮崎さんです。
ネオトラディションは、東大・京大・早稲田・慶應の大学生に特化した就職支援会社。
京都でスタートした会社で、一時期は京大生の90%が登録していたそうです!(※5)
ブログにも「体調が悪い」と頻繁に書かれていたので、外食が多く、不規則な生活をされていたことが伺われます。
- ※1:「宮崎謙介⇒加藤謙介の誰にも見せないつもりの日記」(※現在は廃止)
- ※2:内閣府「平成19年版 少子化社会白書 第2節 近年の婚姻動向」
- ※3:「大学生の就職活動を温かく見守る加藤謙介のブログ」(※現在は廃止)
- ※4:2021年8月12・19日号 週刊新潮「小泉進次郎、名門『コロンビア大学院』留学は「特別なプロセス」関係者が証言」
- ※5:宮崎謙介著『国会議員を経験して学んだ実生活に即活かせる政治利用の件。』徳間書店,2021年
それでは、離婚理由が「遠距離結婚状態によるスレ違い」だけだったのかというと・・・
そうとは言い切れないようで、報道では「離婚原因は宮崎さんの浮気・不倫」という説が主流です。
「たった3年間で浮気相手の名前が“出るわ出るわ”」(※1)
「宮崎氏が紘一氏の後継になることを狙って鮎子氏と結婚したと報じられましたが、当時から女遊びがひどく、結局、3年で離婚になったのです」(※2)
「初婚の時から数えれば、2度目どころではない。前回も、複数の女性と関係があったと認めている。」(※3)
などなど、浮気説の記事が”出るわ出るわ”状態(苦笑)
こうした浮気・不倫も、宮崎さんと加藤さんがほぼ「遠距離結婚」だったからではないでしょうか。
離婚された2009年の年末、宮崎さんはこのようなブログを書かれています。
2009年12月21日
年の瀬を迎えるにあたり
2009年も終わりに近づいてきている。
本当に色々なことがあった1年だった。
またあとで振り返るとするが、今日はプチ振り返り。
多くの方々にご迷惑をかけ、そして多くの方々にお世話になりました。
出会いも別れもありました。最高に楽しいことも最高に辛いこともありました。
全てひっくるめて2009年は変化の年になりました。一年を振り返り「変化の年」などと
当たり前な総括はしたくないので、また改めて言語化したいと思うのだが
変化の多い年だったことは間違いない。
先日、あることの整理がついた。ずっと気になっていたことだ。
本当の意味での整理はまだついていないのだが、大きなけじめがつけられた。
今年の12月みたいな心境は初めてだ。
何だか切なくなってしまいますね・・・
なお、宮崎謙介さんと加藤鮎子さんの間にお子さんはいらっしゃいません。
そして加藤さんは、宮崎さんの不倫と議員辞職について、
「私には関係ない。大変ですね、としかコメントしようがない」
とおっしゃっていました。連絡をとりあうことも全くないそうです。(※4)
- ※1:2020年11月28日 ライブドアニュース「子どものために誠実でいて」宮崎謙介氏、金子恵美氏との約束
- ※2:2016年4月12日 女性自身「金子恵美議員 宮崎氏との離婚を相談、相手はなんと夫の前妻!」
- ※3:2020年12月4日 デイリー新潮「また不倫発覚の宮崎謙介氏 笑われる謝罪に見る笑えないヤバいクセ」
- ※4:2016年10月2日 FRIDAY「独占インタビュー 加藤鮎子代議士が語った『父と前夫に学んだ政治家の資質』」
宮崎謙介さんは29歳のとき、2010年頃に、政治に関心を向け始めたそうです。
当時宮崎さんは、人材育成ベンチャー(株)トランジションの社長を務めており、リーマンショック後の不景気で優秀な学生が海に流出していく様子を目の当たりにし、
「若者が日本に誇りを持てるような社会をつくられなければ」
と思ったのだとか。(※1)
報道では、宮崎さんは元々政治家になりたくて、加藤紘一氏の後継者の座を狙って加藤鮎子さんと結婚したと伝えられています。(※2)
しかし宮崎さんは、「恥ずかしながら、政治にはこれっぽっちの興味もありませんでした」と、起業するまで政治には関心がなかったことを強調しています。(※1)
また、元妻の加藤鮎子さんも週刊誌のインタビューで、
「結婚した当時、彼はベンチャー企業の経営者で、政治の勉強はまったくしていなかった。だから京都3区から出馬、と聞いたときは、私だけでなくうちの家族みんながびっくりしていました」
と、宮崎さんが加藤紘一氏の後継者候補だったことを否定しています。(※2)
いずれにせよ宮崎謙介さんは、2011年(30歳のとき)自民党の候補者公募選考に自ら応募。
晴れて合格し、自由民主党京都府第3選挙区支部長に選任されました。
東京出身の宮崎さんが京都を選んだのは、選挙区の京都市伏見区に親戚がいるので、幼少時よりよく来ていたからだそう。
ベンチャー社長として京都大学にも頻繁に来ていたので、土地勘やなじみもあったと思われます。
また、当時は民主党政権だったので、自民党は政権奪回のために、若手への刷新をPRしたかった時期。
京都3区のライバル・民主党(現・立憲民主党)の泉健太議員が若手で、地元での人気が高いことから、さらに若く長身&イケメンな宮崎さんが選ばれたのでしょうか。
そんな宮崎謙介さんは、2012年12月の第46回衆議院議員総選挙で自民党から立候補し、泉健太氏らを破って初当選します。
同じ選挙で、現在の妻である金子恵美さんも、新潟2区から当選。
★美人すぎる元国会議員・金子恵美の若い頃&生い立ちは↓↓↓
さらに同じ選挙で、14選を目指した加藤紘一氏が、無所属の阿部寿一氏(元・山形県酒田市長)にわずか1465票差で落選!
2013年4月、加藤紘一氏は政界を去るにあたり、当時自分の秘書を務めていた娘の鮎子さんを後継指名。
鮎子さんは自由民主党山形県第3選挙区支部長に選任されました。
そして鮎子さんは、2014年12月、第47回衆議院議員総選挙に自民党候補として出馬。
周囲には「父の分も頑張っていきます。国会で仕事をさせてください」と挨拶回りをしたそうです。
鮎子さんは2011年頃に、元大手証券マン・角田賢明(つのだ・よしあき)さんと再婚し、この選挙のとき2歳になる息子さんがいました。
角田さんは、この選挙のために三菱UFJモルガン・スタンレー証券(株)を退職し、東京から山形へ転居したのだそうです。
そして毎日、面積が広い山形3区を「加藤鮎子の夫です」と回り、多い日は200軒も訪問したとか。(※4)
この選挙は、前回選挙で父を下した阿部寿一氏と運命の対決でした。
献身的な角田さんのサポートが功を奏し、加藤鮎子さんは阿部氏を下して初当選!
1488票差という大接戦にせり勝って、父の雪辱を果たしたのでした。
★加藤鮎子の現在の夫・角田賢明さんについては↓↓↓
一方、半年後の2015年5月には、元夫の宮崎謙介さんが、金子恵美さんとの結婚を発表。
つまり宮崎さん・加藤さん・金子さんは、「夫・前妻・現妻」という何ともフクザツな関係で、衆議院に揃っていたことになりますね・・・
現妻の金子恵美さんの出産を前に、男性国会議員として初めて育児休業を取得すると宣言し、注目を集めた宮崎謙介さん。
ところが、2016年2月に「文春砲」でグラドルとの不倫が報じられます。
不倫期間が、現妻・金子恵美さんの出産直前だったことから、世論は宮崎さんを大バッシング。
宮崎さんの行動は「ゲス不倫」として猛批判を浴び、宮崎さんは議員辞職し国会を去ることになりました・・・
- ※1:宮崎謙介著『国会議員を経験して学んだ実生活に即活かせる政治利用の件。』徳間書店,2021年
- ※2:2016年4月12日 女性自身「金子恵美議員 宮崎氏との離婚を相談、相手はなんと夫の前妻!」
- ※3:2016年10月2日 FRIDAY「独占インタビュー 加藤鮎子代議士が語った『父と前夫に学んだ政治家の資質』」
- ※4:2014年11月28日号 週刊朝日「谷垣氏、進次郎氏に、夫まで 加藤鮎子の“豪華”選挙」
加藤鮎子さんが当選した2014年12月から、金子恵美さんが落選する2017年10月まで、2人は約3年のあいだ、同じ自民党の衆議院議員でした。
そして意外にも(?)加藤さんと金子さんは仲が良かったのだそうです。
加藤鮎子さん自身も、インタビューで
「金子先生とは予算委員会で隣同士になったとき『あそこにお水があって飲んでいいからね』と声をかけてもらって以来、仲良くさせていただいています。同じ雪国出身でわかり合えるのはこの人しかいない、と確信を持っています」
とおっしゃっています。(※1)
加藤さんは元・野田聖子議員の秘書。
そして金子さんは、野田聖子議員を姉御のように慕っていて、家庭のことや仕事のことを相談していたのだそうです。(※2)
加藤さんと金子さんは、年齢が1歳違い(金子さんが年上)で、同年代の大沼瑞穂・元参院議員もまじえて、党の女性局の会合の後などに女子会をしていたのだとか。
なお『女性自身』には、金子恵美さんが宮崎謙介さんの結婚を相談したときに、前妻の加藤鮎子さんが
「女癖の悪さで私も別れたんだから、あの男だけはやめときなよ!女癖と高飛車な態度は絶対治らない。恵美ちゃんはわかってない!」
と反対したと書かれていましたが・・・(※3)
ライバル誌『女性セブン』によると、
「加藤さんは結婚に反対どころか、祝福していた」
そうで、加藤鮎子さんは『自身』の記事は違うと怒っていたそうです。
というわけで、加藤鮎子さんは、元夫・宮崎謙介さんと金子恵美さんの結婚に対して
- 宮崎さんの女癖の悪さと高飛車な態度を心配し、反対していた
- 祝福していた
という二説が出ていますが、加藤さんと金子さんは仲が良かったのは事実のようですね。
- ※1:2016年10月2日 FRIDAY「独占インタビュー 加藤鮎子代議士が語った『父と前夫に学んだ政治家の資質』」
- ※2:2016年4月29日 女性セブン「金子恵美議員が『ゲス不倫で離婚』報道に立腹」
- ※3:2016年4月12日 女性自身「金子恵美議員 宮崎氏との離婚を相談、相手はなんと夫の前妻!」
この記事では、
- 加藤鮎子は、自民党衆院議員・加藤紘一氏の三女として、1979年山形県鶴岡市に生まれる
- 慶應義塾大学法学部卒業後、民間コンサルを経て、野田聖子議員の秘書に
- 2006年に宮崎謙介と結婚し、同時期にコロンビア大学国際公共政策大学院(SIPA)へ留学
- 宮崎謙介は結婚後、加藤謙介に改姓。ベンチャー企業で出張の多い生活
- 2人は2009年に離婚。実質「遠距離結婚」で、スレ違いと宮崎氏の浮気が離婚理由と思われる。2人の間に子どもはいない
- 宮崎謙介は2012年12月の衆議院議員選挙に出馬し当選(自民党/京都3区)
- 同じ選挙で、加藤紘一(自民党/山形3区)が落選し、後継者に娘の加藤鮎子を指名
- 加藤鮎子は、2014年10月の衆議院議員選挙に出馬し初当選
- ちなみに加藤鮎子は2011年頃に元大手証券マン角田賢明氏と再婚し、現在は2児の母
- 加藤鮎子と金子恵美は、3年間同じ自民党女性議員であり、仲も良かった
という内容をお伝えしました。
現在、ビジネスコンサルタント・テレビコメンテーターなどを務め、2021年現在21社の企業顧問をしている宮崎謙介さん。
衆議院議員として、二児のママとして、東京と山形を往復して活躍する加藤鮎子さん。
不倫騒動もネタにして、政治から子育てまで語れるテレビコメンテーターとして引っ張りだこの金子恵美さん。
それぞれ過去の蓄積を生かし、今のご家族と関係を育み、お仕事に邁進されていますね。
正直なところ、宮崎謙介さんが次に何をやらかすか心配なわけですけれども・・・
立場は違えど「日本をよくする」という志に向かって尽力されているお三方を、応援したいと思います!