山下久美子さんは、1980年代に「学園祭の女王」「総立ちの久美子」と呼ばれた女性ボーカリスト。
そして、ギタリストの布袋寅泰さんの元妻でもあります。
布袋さんといえば、現妻・今井美樹さんによる不倫・略奪愛憎劇が伝説となっていますが・・・
このブログ記事では、山下久美子さんと布袋寅泰さんの結婚生活、離婚理由、なれそめと結婚式をまとめます。
山下久美子(やました・くみこ) プロフィール
- 生年月日:1959年(昭和34年)1月26日 ※2024年で65歳
- 出身地:大分県別府市
- 身長:166cm(※)
- 血液型:O型(※)
- 学歴:別府大学附属高等学校中退
山下久美子さんは、1980年(昭和55年)に「バスルームから愛をこめて」で歌手デビューしました。
1982年(昭和57年)に発売した6枚目のシングル「赤道小町ドキッ」がカネボウ化粧品のCMソングになり、41万枚以上の大ヒット!
「総立ちの久美子」「ロックの女王」「学園祭の女王」と呼ばれていました。
山下久美子の生い立ちと若い頃はこちら↓
布袋寅泰(ほてい・ともやす) プロフィール
- 生年月日:1962年(昭和37年)2月1日 ※2024年現在62歳
- 出身地:群馬県高崎市
- 身長:187cm
- 血液型:B型
- 学歴:新島学園高等学校中退(後に名誉卒業)
布袋寅泰さんは、1981年(昭和56年)にロックバンド「BOØWY(ボウイ)」のギタリストとしてデビューしました。
1988年(昭和63年)にBOØWYが解散した後は、吉川晃司とのユニット「COMPLEX」、ソロ活動や楽曲提供など幅広く活動しています。
2021年(令和3年)8月に東京2020パラリンピック開会式では、デコトラで障がいを持ったパフォーマーらと登場・共演し、注目を集めました。(※)
山下久美子さんと布袋寅泰さんの結婚生活は、どのような感じだったのでしょうか・・・?
山下久美子と布袋寅泰は酒豪だった!
山下久美子さんと布袋寅泰さんは、お2人とも酒豪なのだそうです。出会った頃は、2人で「I・W・ハーパー」を毎晩1本は空にしていたとか。
2人と親しかった吉川晃司さんは、2人の結婚式に参列した後のテレビ番組で「ヤバいのが、2人とも酒豪で、倒れるまで2人で飲んじゃう」とおっしゃっていました。すごいですね!(※)
※:1986年1月 日本テレビ「ザ・トップテン」
布袋の「尋常じゃない嫉妬心」と壮絶な夫婦ケンカ
そんな山下久美子さんと布袋寅泰さんの結婚に対して、当初はみんな驚いたそうです。スタッフがいつ離婚するか賭けていたほど。
時間が不規則な芸能界の仕事・・・久美子さんは、掃除はやっているけれど、早起きして朝食をつくることはできていないと言っていました。布袋さんは、最初の頃は家事をやっていたそうですが、忙しくなってくると段々やらなくなっていったそうです。(※:1988年8月27日 ABCテレビ「CLUB紳助」)
山下久美子さんによると、布袋寅泰さんは「嫉妬心が尋常じゃなかった」とか。
思えば、私たちはいちばんエナジーを持て余している時期に結婚生活を始めてしまったのかもしれない。特に若い彼に至っては、嫉妬心においても尋常ではなかった。
「レッドシューズ」で呑んでいたときに、昔のボーイフレンドが入ってきたというだけで喧嘩になったり、たまたま居合わせた吉川が仲裁に入ると、今度は彼らが殴り合いを始めたりする始末だった。
いつも売り言葉に買い言葉で、次のような激しい夫婦ケンカが繰り返されたそうです。
- 布袋さんが怒りにまかせてマンションの6階から服を全部投げ捨てる
- 泥酔した布袋さんが、6階から「飛び降りる!」と半身を乗り出す
- 布袋さんが久美子さんに「ライブで肌を露出する衣装はやめてくれ」と要求する
自我が強いのはお互いでしたが、いつも先に折れるのは山下久美子さんの方でした。
そんな2人が離婚に向かっていく過程は、山下久美子さんの著書「ある愛の詩」に描かれています。
BOØWY人気急上昇によるスレ違い
布袋寅泰さんのバンド・BOØWYは、布袋さんと山下久美子さんが結婚した1986年に、シングル「わがままジュリエット」がヒットし人気が急上昇します。
1987年(昭和62年)には「MARIONETTE(マリオネット)」が初登場1位を獲得して、日本列島にBOØWY旋風が吹きました。
私はリアルタイムで聞いていた世代なんですが、男女どちらからも大人気で、ものすごいブームでした!
空前のBOØWYブームで、山下久美子さんと布袋寅泰さんの芸能界での立場が逆転し始め、久美子さんは複雑な気持ちになっていきました。
私のコンサートのはずなのに、明らかにギタリスト布袋寅泰目当てで来るファンが増え始めたのだ。
サポートの位置にいるはずの彼が、いつのまにか私と同列かそれ以上になり始めてる。それは私にとって予想外の脅威だった。不安にかられた。
すると彼に対して素直に向き合えなくなり、どこか屈折に近い感情を持ち始めた。たとえば、BOØWYがチャートのトップにランクインしたことですら、素直に喜べなかった。
久美子さんはある日、布袋さんと一緒にステージに立っていて、「もう彼にはかなわない」とショートしてしまったそうです。
久美子さんは、1988年12月5日に東京ベイNKホールで行われたコンサートをもって、音楽活動を2年間休止。
後に「笑っていいとも」のテレフォンショッキングで、活動休止の理由を「布袋の苗字になじまなければいけないかなと思って」と語っています。
久美子さんは愛犬ジュリア(アフガンハウンド)を飼い始め、家で料理に精を出したり、子どもが欲しくて妊活もしたそうです。
その頃BOØWYも、人気絶頂の1987年(昭和62年)12月24日に解散を宣言。翌1988年(昭和63年)4月5日に東京ドームでのコンサート「LAST GIGS」でバンド活動を終結しました。
その後布袋寅泰さんは、吉川晃司とのユニット「COMPLEX」、ソロ活動や楽曲提供など、活動の幅を拡げていきます。
※:1992年7月16日 フジテレビ「森田一義アワー 笑っていいとも!」テレフォンショッキング
布袋寅泰のロンドン長期滞在で、事実上の別居生活
布袋寅泰さんが1990年(平成2年)にCOMPLEXを解散し、1991年(平成3年)に山下久美子さんが歌手活動を再開した後、布袋さんはイギリスに渡航することが増えていきます。
やがてロンドンのセント・ジョンズウッドやポートベローなどに部屋を借りて、長期滞在するようになり、東京にいる山下久美子さんとは、事実上の別居生活のような状態になっていきました。
1993年(平成5年)7月には、アルバム「GUITARHYTHM Ⅳ」のレコーディングで半年間、単身渡英しています。
★その頃、布袋寅泰と不倫交際を始めたのは・・・今井美樹↓↓↓
1994年(平成6年)には(今井美樹さんとの不倫が始まっていたにもかかわらず)布袋さんが「家を建てよう」と言い出し、1995年(平成7年)2月に南青山に地下スタジオ付きの新居が完成しました。
しかし、実際にここで布袋さんと久美子さんが一緒に過ごした時間は少なかったそうです。
布袋寅泰さんの嫉妬や激情、芸能界での立場逆転、ロンドンと東京のすれ違い生活・・・
こうした中で、布袋さんと歌手の今井美樹さんの不倫恋愛が、離婚の決定打になっていきます。
今井美樹のヒット曲「PRIDE」が離婚決定打に
1992年(平成4年)に布袋寅泰さんは、今井美樹さんに初めて楽曲を提供します(アルバム「flow into space」)。
それ以降関係を深めていき、1996年(平成8年)には「PRIDE」を作詞作曲。
フジテレビのドラマ『ドク』の主題歌となり、売上枚数160万枚を超える、今井美樹さんの最大ヒット曲です。
この曲は、布袋さんが自宅の地下スタジオのピアノで、一晩で一気に書き上げたと言われています。
その完成直後のデモテープを、山下久美子さんが聞いてしまったのだとか。
この曲を聞いて、久美子さんは離婚を決断したのだそうです。
切ない・・・(泣)
離婚を言い渡したのは山下久美子。「憎みきれない」複雑な胸中
1997年(平成9年)に、山下久美子さんと布袋寅泰さんは離婚し、12年の結婚生活に終止符を打ちました。
離婚を言い渡したのは、久美子さんの方だったそう。
お二人の間にお子さんはなく、久美子さんは「この家が大好きなの。この家だけくれたら、他は何もいらない」と、南青山の自宅を財産分与として受け取ったということです。
離婚前年の1996年、日本武道館でデビッド・ボウイの来日公演があった際に、布袋さんはオープニングアクトを担当しました。
久美子さんは次のように振り返っています。
長いことファンであり続けた世界的なアーティストと、夫が同じステージに立つということは、私にとっても大変な喜びだった。
結婚生活が息詰まっているときではあっても、そのできごとを自分のことのように感激している不思議さは何だったのだろう。
考えあぐねて辿り着いた先は、憎めないということだった。
この人を・・・私は憎みきれない。
あれだけしっかりと愛した記憶があったら、とても憎めない・・・。
たとえ彼に好きな人ができたとしても。憎めたなら、どんなに楽だっただろうか。
ともに過ごした時間に価値があるぶん、別れは本当につらいですね。
時間が経つにつれて、思いや関係性が変わってしまうのは仕方がないとはいえ・・・
それでも、自分から別れを切り出した久美子さん、凛々しいです!
★離婚について赤裸々に書いた、山下久美子の自伝本の内容は↓↓↓
山下久美子さんと布袋寅泰さんの出会いは1985年(昭和60年)。久美子さんが26歳、布袋さんが23歳のときです。
スタジオミュージシャン布袋に山下久美子がひとめぼれ!
久美子さんは「赤道小町ドキッ」・「こっちをお向きよソフィア」などで一世を風靡した女性ボーカリスト。
9枚目のアルバム「BLONDE」のバックミュージシャンとして、当時のプロデューサー・吉田健さんが連れてきたのが、売れる前の布袋寅泰さんでした。
布袋さんはこの頃まだBOØWYの下積み時代でしたが、久美子さんは、布袋さんのギターサウンドに心をわしづかみにされます。
後にテレビ番組で「ひとめぼれだった」と振り返る久美子さん。
スタジオでリズム録りのため、2週間を一緒に過ごし、最後の日に電話番号を交換しました。
歌手とスタジオミュージシャンは、1度仕事をしても次いつ会えるかわからないので、久美子さんから電話して、「次のプロモーションビデオ(星になった嘘)でもギターソロを弾いてほしい!」とアプローチをしたのだそうです。(※:1995年9月18日 フジテレビ「HEY!HEY!HEY!」)
やがて2人は毎日会うようになり、山下久美子さんの代官山のマンション(東急アパートメント)で一緒に暮らし始めました。2人は「久美ちゃん」「布袋くん」と呼び合っており、離婚するまで12年間、その呼び方はずっと変わらなかったそうです。
布袋寅泰が号泣したチャペル結婚式
プロポーズは布袋寅泰さんからでしたが、山下久美子さんは「(私が)向こうに言わせた」と語っています。当時は久美子さんの方が有名で、布袋さんは下積み時代。布袋さん側が引け目を感じている様子だったそうです。
1985年(昭和60年)12月に広尾のバー「ピュルテ」で、久美子さんが布袋さんに「そろそろ言ってもいいんじゃない?」「言いなさいよ」と背を押し、布袋さんが「結婚、しようか」と言い、久美子さんが「しましょうっ!」と答えました。
同年12月24日に布袋さんがBOØWYのコンサート(渋谷公会堂)で、久美子さんが12月26日のコンサート(新宿コマ劇場)で、それぞれに結婚を発表。
1986年(昭和61年)1月27日に、六本木のフランシスカン・チャペル・センターで結婚式を挙げました。
会場には100人近い報道陣が駆け付けました。
前日のリハーサルからずっと泣きっぱなしだったという布袋さんは
「すげえ緊張して心臓止まっちゃうかなと思うんだけど、ちゃんと俺が彼女のことを愛している気持ちが心臓を止めなかったみたいで」
「彼女がいつもニコニコ笑っているような俺で、家庭でいたいと思います」
とコメント。
久美子さんも
「すごい幸せだし、言葉にならないからそのぶん涙でグショグショになってしまって」
「(ファンに)世界一幸せな花嫁だよって言いたいです」
「彼のことは全て好きだし、赤い糸的なものも感じるし、これが一番自然なんだなという気がします」
そして記者からの「年の差はどう思いますか?」という質問には、
「年下ですごいよかった。年下だから私をひきつけていてくれる」と。
また、記者に「赤ちゃんの予定は?」と聞かれ、久美子さんは「神に任せます」と答えました。(※:TBS「3時にあいましょう」)
最後に、山下久美子さんと布袋寅泰さんの離婚について、久美子さんの自叙伝「ある愛の詩」に寄せられた感想・コメントを紹介します。
結婚生活のくだりが悲しすぎ。不倫は良くない!感情移入してブルーになってしまった…。
山下久美子さんが一生幸せに暮らせるよう願ってます。後、文章が読みやすくて言葉選びが上手いなぁと思いました。
なんて男前な久美ちゃんなんだ!って、あらためて彼女の強さとやさしさ、人間の大きさに胸を打たれました。
とくに離婚に至るまで、たくさんもがき傷つき何度も泣き、それでも別れることを決断し、そのさみしさを自分でちゃんと乗り越えていく過程で見せる彼女の底力はすばらしい!女として尊敬します。
アーティスト同士の相性の良さと夫婦の仲の良さはリンクしないなと感じましたね。それぐらい共同作品たちの良さを感じました。
今聞いても、激しさを感じます。引き続きふたりのファンでいようと思いました。
久美子さんの事は、ほとんど知らなかったのですが、この本を読んで、女性としてとても尊敬すべき人間だということを思いました。
スッゴク努力家で、そして愛のあるアーティストだというのが印象です。今後も久美子さんの事を応援しています。
布袋君との別れ際の苦しみは読んでいて本当に辛かった。それでも布袋君を恨むことはなかった。えらいと思う。
私だったらきっとめちゃくちゃにしてしまいそうだ。それだけ彼女は人間ができているということ。
単なる暴露本では無く、一人の女性アーティストが恋愛とアーティストのプライドの2つに揺れている感じがとても正直
一気に読みました。そして何度も読みたくなる元気の出る内容です。
離婚前の辛かった話は彼女自身もこうして綴ることで気持ちに整理ができたのでは、と思います。
「彼女」よりも幸せに生きていってほしいと心から応援したいです。アーティストのみでなく、山下久美子という「人間」のファンになりました!女性としてカッコイイ!!
私も実際にこの本を読みましたが、山下久美子さんがどれだけ布袋寅泰さんのことを愛していたか、布袋さんに愛されていたかがよくわかりました。
何より、今井美樹さんとのことを、複雑な気持ちながら淡々と綴る様子が、却ってスゴイなあと。
そして、山下久美子さんのキュートさと前向きが何より心に残る本でしたし、1980~90年代のミュージックシーンのことがわかって興味深い本でもありました!
★布袋寅泰と今井美樹は2012年にロンドン移住↓↓↓
★布袋寅泰がマイホームパパに!?↓↓↓
この記事では、 山下久美子さんと布袋寅泰さんの結婚生活、離婚理由(2人のすれちがいと布袋さんの不倫)、なれそめと結婚式をまとめました。
布袋寅泰さんとの離婚劇から3年後の2000年に、シングルマザーとして双子の女の子を出産した山下久美子さん。
現在ではお子さんたちも成人し、近年では還暦記念ライブ、40周年ライブなど、精力的に音楽活動をされています。
★山下久美子の60代になってもパワフルな様子は↓↓↓
2人の結婚式のとき、久美子さんが当時所属していた渡辺プロダクションの先輩・植木等さんが次のような祝辞を送ったそうです。
いまは大勢の人に囲まれて、華やかだし、賑やかだけれど、家に帰ったらふたりだけですから。そこから始まるから。
また、結婚して2年が過ぎた頃、島田紳助さんのトーク番組で「浮気はしていない」「信じている」と言った久美子さんに対し、紳助さんは「浮気している可能性を考えておかないといけない」と言っていました。(1988年8月27日 ABCテレビ「CLUB紳助」)
人生の先輩の言葉はいつでも含蓄に満ちていて、それでも実際に痛みを経験してみないと、その言葉の本当の意味はわからないものです・・・