山下久美子さんは、1980年代に「総立ちの久美子」「学園祭の女王」「ロックの女王」と呼ばれた女性シンガーです。
このブログ記事では、そんな山下久美子さんの若い頃の画像・生い立ち・昭和芸能史に残る(?)数々の伝説についてまとめたいと思います。
山下久美子(やました・くみこ) プロフィール
山下久美子さんは、1980年(昭和55年)に「バスルームから愛をこめて」で歌手デビュー。
1982年(昭和57年)に発売した6枚目のシングル「赤道小町ドキッ」がカネボウ化粧品のCMソングになり、41万枚以上の大ヒットに。
ステージ上で走って飛んで脱いで(下は水着)の激しいライブパフォーマンスが大人気でした。
それでは、山下久美子さんの若い頃の画像を紹介していきます!
1980年代前半~デビュー後から「赤道小町ドキッ」大ヒットまで
★↓1981年(昭和56年)山下久美子さん22歳 3枚目のシングル「恋のミッドナイト・D.J.」です。
★↓こちらも22歳のとき 4枚目のシングル「とりあえずニューヨーク」
★↓こちらも22歳のとき 5枚目のシングル「雨の日は家にいて」
6枚目のシングル「赤道小町ドキッ」が大ヒットした後、1983年(昭和58年)24歳のときに、7枚目シングル「こっちをお向きよソフィア」を発売。
元気で健康的で、かわいらしさが弾けていますね!
20代後半の写真(1980年代後半)
1980年代は年間100本のライブをしていた山下久美子さん。
20代後半は、「赤道小町ドキッ」のイメージを超える道を模索していきます。
★↓1985年(昭和60年)26歳のときに発売した「瞳いっぱいの涙」
ちなみにこの翌年の1986年(昭和61年)1月、久美子さん26歳のときに、ギタリスト・布袋寅泰さんと結婚式を挙げます。
★↓1988年(昭和63年)28歳のときに発売したベストアルバム「three into one」
★↓同じく28歳のときに出演したトーク番組にて
時代は日本のバブル経済期。ソバージュヘアと肩パッドの入ったジャケットに、当時の流行を思い出してしまいます・・・!
そして1988年(昭和63年)、山下久美子さんは家庭に専念するため、歌手活動を休業されました。
30代の写真(1990年代)
2年間の休業期間のあと、1990年(平成2年)に音楽活動を再開した山下久美子さん。
★↓1992年(平成4年)32歳のとき発売したシングル「!BYE BYE」
今ふりかえると、布袋寅泰さんとの結婚生活が大変になっていった時期です・・・
★山下久美子と布袋寅泰の結婚から離婚まで、くわしくは↓↓↓
★↓1995年(平成7年)35歳のときに出演したトーク番組にて。
この2年後に、山下久美子さんは布袋寅泰さんと離婚されています・・・
★布袋寅泰と今井美樹の不倫恋愛と、山下久美子の自伝については↓↓↓
そして・・・ステキに年齢を重ねた60代の写真
それから四半世紀が過ぎて、山下久美子さんは、2019年(令和元年)に還暦を迎えました。
★↓2020年(令和2年)61歳の山下久美子さん。若い!
★↓同じく61歳のとき、40周年記念配信ライブでのおちゃめな表情^^
かわいらしく、自然体で年齢を重ねられている様子が、とってもステキです!
そんな山下久美子さん、どんな幼少期を過ごし、どのようにミュージシャンへの道を歩んできたのでしょうか。
人前で歌うのが大好きだった少女時代
山下久美子さんは1959年(昭和34年)、大分県別府市で、2人姉妹の長女として生まれました。
別府は九州最大の温泉地。お父さんはホテル回りなどをするバンドのギタリスト。お父さんが観光客の前で演奏してから帰宅するのは明け方で、一緒に朝食をとることはほとんどなかったそうです。
お母さんは元銀行員で、周囲の反対を押し切って不安定な仕事のお父さんと結婚しました。50歳過ぎにお父さんが現役引退する頃、別府で小料理屋「サン」を開業し、1999年頃まで21年間経営していたそうです。
久美子さんは、幼い頃から人前で歌うのが大好きでした。
当時テレビでやっていた歌番組「日清チビッコのど自慢」で歌を覚えては、家の前にみかん箱を置いて、近所の友達を集めて歌っていました。
中学生になってからは、ビートルズ・モンキーズ・カーペンターズなどの洋楽が好きになり、中学の文化祭ではカーペンターズのコピーバンドを組んで歌ったそうです。
高校では成績優秀だったものの、厳しい校則になじめませんでした。
福岡・博多を拠点に活動するソウルバンドを追いかけるようになり、親の反対を押し切って高校を2年で中退し博多へ出ました。(※)
※:2010年6月18日 広島FM「食卓ON楽 山下久美子/赤道小町ドキッ」
博多のソウルバンドで歌っているところをスカウト
博多には3年ほどいたそうです。ウエイトレスのバイトをしながらソウルバンドでボーカルを務め、博多のクラブで歌っているところを、19歳のとき大手プロの渡辺プロダクションにスカウトされました。(※1)
ただ好きで楽しく歌っているだけで、プロになろうというつもりはなかったので、1ヶ月くらい悩んだのだとか。
業界最大手の渡辺プロということで、テレビでよく見るアイドルにさせられてしまうのかとも心配していました。
「3年頑張ってダメだったら帰ろう」と決心し、親には事後報告で上京したのです。(※2)
- ※1:2010年6月18日 広島FM「食卓ON楽 山下久美子/赤道小町ドキッ」
- ※2:2011年6月1日 スポニチAnnex 【1982年6月】赤道小町ドキッ/“総立ちの久美子”も驚きギリギリで完成したヒット曲
「赤道小町ドキッ」でブレイクしロックの女王に
上京し渋谷区笹塚にアパートを借りた山下久美子さんは、渡辺プロの音楽学院で1年間、みっちりとレッスンを受けます。ゴスペル歌手・亀渕友香さんのボイストレーニングを受け、1980年(昭和55年)に「バスルームから愛をこめて」でデビュー。
1982年(昭和57年)に発売した6枚目のシングル「赤道小町ドキッ」がカネボウ化粧品のCMソングになり、41万枚以上の大ヒット!
この曲を歌うときに、プロデューサーの木崎賢治さんが「童謡みたいに歌った方がいいんじゃないか」とアドバイス。
木崎さんといえば、沢田研二・吉川晃司・槇原敬之・BUMP OF CHICKENなどを手掛けた名プロデューサーですが、このアドバイスが効いてメキメキと歌い方がよくなり、「キャンディ・ボイス」とも呼ばれる久美子さんのボーカルの芯になっているそうです。(※)
1980年代に一世を風靡した山下久美子さんには、たくさんのスゴイ「伝説」があります。
デビュー曲は吉本新喜劇の元ネタ!
山下久美子さんのデビュー曲は、1980年(昭和55年)に発売された「バスルームから愛をこめて」。
関西の方なら、吉本新喜劇の島田珠代さんのギャグ「男なんてシャボン玉~」をご存じでしょうか。アレの元ネタは、この歌なのです。
山下久美子さんは、吉本の定番ネタに使われるほどのヒット歌手でした!
元祖・胸キュン娘!YMOより早かった!
1980年に発売された山下久美子さんのデビューアルバム「バスルームから愛をこめて」は、レコードの帯に「胸のここんとこがキュウンとなるような歌を唄いたいのよね…」というキャッチフレーズが付けられました。
このキャッチフレーズを考えたのは、当時久美子さんが所属していた渡辺プロダクション社員だった福岡智彦さん。(※1)
これによって、久美子さんが「胸キュン娘」と呼ばれたり、デビュー当初のファンクラブ名が「胸キュンClub」と名付けられることになりました。
その3年後の1983年、YMOがシングル「君に、胸キュン。」を発売し、YMOのシングルとしては最高の34.7万枚を売り上げるヒットに。
この曲の発売にあたり、スタッフが山下久美子さん側の許可を取ったという逸話が残されています!(※2)
★YMOの坂本龍一の近況は…↓↓↓
山下久美子が「総立ちの久美子」になった理由
1980年にデビューした山下久美子さんは、新宿のライブハウス「ルイード」を拠点に、都内そして全国のライブハウスを回り、その名は音楽ファンの間に浸透していきました。
初ライブこそ観客35人で、札幌では観客3人ということもありましたが、人気に火がつくとお客さんがライブハウスに入りきれなくなり、1981年1月に日本青年館で初めてのホールコンサートを行います。(※1)
このコンサートのアンコールで「恋のミッドナイトD.J.」を歌ったところ、観客が一斉に立ち上がったことから「総立ちの久美子」の異名を取ることになりました。(※2)
- ※1:2011年6月1日 スポニチAnnex 【1982年6月】赤道小町ドキッ/“総立ちの久美子”も驚きギリギリで完成したヒット曲
- ※2:2020年12月20日 OKMusic「山下久美子 Key Person 第10回 ヒット曲は一夜にして人の人生を変えると痛感した」
ザ・ベストテンに本物のゾウが登場!
1982年(昭和57年)23歳のときに、6枚目のシングル「赤道小町ドキッ」で大ブレイクした山下久美子さん。
TBS「ザ・ベストテン」に登場したときはスタジオで、本物のゾウの上にまたがって熱唱!!
ゾウの両脇にいるスタッフの表情がなんとも・・・^^;
破れたシャツとカラフルな羽根飾りのついた久美子さんの衣裳も、当時インパクトがあったようです。
南国ミクロネシアで撮影した奇抜な映像作品が話題に!
1984年(昭和59年)、山下久美子さん25歳のときに、アルバム「アニマ・アニムス」を映像化した映像作品「黄金伝説」を発売します。
この作品、後藤次利さんがプロデュースし、ストーリーを作家の故・景山民夫さんが考案したという先鋭的な作品。
ミクロネシアのポンペイ島で2週間かけて撮影されたのですが・・・
なかなかシュールな作品でして・・・
南国の海でボートをこいでいた久美子さんが、銭湯に移動して植木等さんに会うという、奇想天外なストーリー・・・
ちなみに、特別出演された故・植木等さんは、大御所の芸人さんであるにもかかわらず、「私はね、若い人の頼みごとは断らないんですよ」と、破格のギャラで出演してくださったそうです。(※)
山下久美子ファンを困惑(!)させたこの映像作品は、2020年に発売されたアルバム「愛溢れて!Full Of Lovable People」でDVD化され、36年ぶりによみがえることとなりました!
★山下久美子の現在について詳しくは↓↓↓
この記事では、そんな山下久美子さんの若い頃の画像・生い立ち・昭和芸能史に残る(?)数々の伝説についてまとめてみました。
若い頃の写真がとても健康的でかわいらしく、さまざまな伝説・逸話にもビックリ。
山下久美子さんの楽曲は、デビューから40年以上経っても色褪せない名曲ばかりですばらしいです!